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2007年2月22日 (木)

はじめにに代えて

本日も快調!

―新たなる出会いを求めて―

                                

 東隆明とはいかなる人物なのか?!?!

 このブログで始めて知った方の為にちょっと書いてみよう。

 夜な夜な巷のスナックやら小料理屋やらに出没し、居合わせた青年、ご隠居さん、キャリアウーマンたちと冗談を言い、時にはカラオケを歌い、大真面目に語り、まるでこれが仕事とばかりにお酒を飲む。一年365日、朝まで!

 ご本人にそこらへん、聞いてみましょう。

「もしかしてアル中なの?」

「アホ!アル中なんぞじゃあねえ! わしゃ、人中だ」

「ジンチュウ???なんじゃそれ???」

「人間中毒だよ、人が好きで人に酔っているんだ」

 口ヒゲを生やし、ひょろりと細長い体型で、ニコニコと現れ、誰彼構わず、人懐っこく話をするが、瞳は心底を見透かすように鋭く光り、深く澄み渡っている。

「夜の酒場には色んな人がいる。その人たちと話ながら、美味しくお酒を頂く。コーヒー飲み乍らじゃあ、人生は語れないよ」

 タダの話好きのオッサンか、違う。実はとんでもない力を持っている。あらゆる病が快癒に向かう、誰もが眼を見張る、超能力だ。

                  

 指先で軽く擦られただけで、皮下に真赤な条が浮き上がり、メチャメチャ痛い!!!大の大人がギャーギャー喚く、指を離すと痛くも痒くもない。赤い皮下の内出血が消える頃、症状も消える。名医も薬も効かないのに、である。そしてこの力の恩恵を受けた人は実に多いのだ。          Aka3             

 興味のある方は本を読んで頂ければ詳しく書いてあるが、東隆明はこの力について、医学で重症だとか、軽症だとか、原因不明であっても不治であっても、あまり関係ない、治るべき人は治る。超能力というとまるで魔法か手品のように感じる人もいるかも知れないが、そうではない、この力は愛だ、だから誰にでも、出来るようになる可能性がある、と言うのだ。

 とにかく、皆一様に衝撃を受け、人生観までも変えていく。いや、変えざるを得ないではないか。

 さて彼は和歌山から19才で上京、俳優や演出、脚本、プロダクション経営と多忙な日々を送っていた昭和58年、天啓を享け、この超能力を授かった。そしてその日から「自分の為に生きるのをやめた」のだと言う。順風満帆、溢れんばかりの才能を開花させていたにもかかわらず、である。そして自然会という会を発足させた。

 東隆明のことを皆が会長と呼ぶのはこの自然会の会長だから。「会長」うん、これが一番しっくりしている。この後は会長で進めよう。

 そうだ、私との出会いも少し書いておかねば。今から20年以上も前に遡る。

 ある知人に紹介を受けて私は日本橋丸善に発売されたばかりの前述の本を買いに行った。『実践超能力!YOU…』ふんふん、これか。

 ひっくり返して裏表紙。???の本は「幸福行き」の切符である…と書かれた、の字が読めなかった…!(汗!)

 気を取り直してレジで1300円支払い、店の外へ。

帰宅するまで待てず、日本橋の喫茶店に座り込んで、読み始めた。

 さわりだけでもと思ったが、止まらなくなった。涙が止めどもなく溢れた。感動して、というより、勝手に身体の底から湧き上がってきた、という感じだった。もちろん傍目にはさぞおかしな光景に見えただろうが。

 これまで、なんと依存心で生きてきたことだろう…

 何でも人のせいだった…

 感謝なんて言葉、知らなかった…

 そう、思わずにおれなかった。

 何かすっきりとした晴れ晴れとした気分になって電車を乗り継ぎ家に帰った。そして私も自然会に入れてもらったのだった。

 自然会って何しているのか、普段はコミュニケーションをしている。美味しいものとお酒を頂きながら、老若男女、色んな職業、色んな経験、色んな考え方が日本中から集まって語りあう。

何時来ても、何時帰ってもいいし、眠ければ眠ってしまってもよい。お酒を飲みたくなければ、飲まなくても勿論いい。たった一つ、人が話している間、私語はしないという暗黙の不文律があるだけである。

 冗談もダジャレもポンポン出る。とにかく明るい。お世辞や慰めあいっこはしない。人を馬鹿にする人もいない。皆素直に聞き、語り、感動し、机の勉強では学べない何かを学んでいく。

 気がつくと何か、肩のあたりが軽くなって、胸がすうっとしている。目が外に開かれる、っていうのか、自分ひとりの狭い考えを突き抜けて、悩んでいたことがアホらしくなるっていうのか、な。

 皆がどんどん変わっていくのが分かった。家族が皆健康で明るくなって、隠し事がなくなり、深くがっちり絆を結びあうことが出来るようになっていった。

 職場の同僚から信頼され、親しまれ、いつも人の和の中にいた。

 家族にも尊敬されない、最も身近な人にも尊敬されない人に何が出来るというのだ。そしてそれが出来たら、今度はその力を人の為に使わなければ、というのが会長の口癖であり、信念なのだ。

 そして自然会の有志とともに、会長は1991年から雲仙普賢岳災害に苦しんでいた島原の復興支援に取り組んだ。

 一つ一つやることがハンパではない。

でっかいホテルの大広間を借りきって、励ます会やクリスマス会をやったり、唄を作ってレコード会社に働きかけて、CDを全国発売し、全国主要都市37ヶ所で普賢復興支援コンサートを開き、募金を集めて市役所や小中学校に寄付したり、島原市内にコミュニティサロンを作り、常駐者を置き、地域のコミュニケーションに貢献したり…

 お見舞い程度なら最初からやらない方がいい、やる限り、我が身として、見事に復興を遂げるまで、と私財をつぎ込みきって、大借金を背負ってまでも、10年に渡って続けられた。

 何故そこまでするのか、島原はもう終わっただろう、などと随分聞かれたそうだ。終わったのはマスコミの報道だけ、ニュースでやらなくなっただけ。噴火はいつ止むとも知れないのだ。何も解決していない。何も終わっていない。

 私も現地を何回か訪ねた。

 土石流に民家が埋まっている場所をこの眼で見た。その衝撃は大きいものだった。

 わずか前まで、そこに生活の息吹が、家族の暮らしがあった、余韻もそのままに土砂に埋もれ、静かに時を止めていた。

 私はニュースでその映像を見たが、実は何も見ていなかったのだ。

 世の為、人の為、と言葉にすればたった10秒が、実際に行動を起こすことは至難。まして何か人の役にたつなんて、とんでもなく難しいことだと知った。だからと言って実際にその場に立ち、自分の目で見、肌で感じなければ、ニュースでちょっと見た遠い遠い土地の出来事として通り過ぎていたに違いなかった。

 今思い返せば、島原の人たちには本当に多くのことを学ばせていただいたと感謝している。

 そして極最近では拉致被害者の早期帰還を後押ししようと、唄を作り、全国発売した。

 皆が心を合わせ、一丸となって盛り上がることが重要だと言う。他人事ではない、もし自分の家族だったら、と思うとじっとしておれないとも言う。長年シベリアに抑留され、一度も会うことが出来なかった父への思いと重なるものがあるのだ。

 「愛ある故に」「人生は幻」、2曲とも心洗われる、とてもいい唄だと思うので是非一度聞いてみて欲しい。

 親が子を殺し、子が親を殺す。同級生をいじめ、自殺に追い込んでしまう。警察官が学校の先生が平気で犯罪を犯し、キチガイが刃物を持って道をウロウロしている。おかしな宗教がはびこり、人心を惑わす。

 皆憑き物に憑かれたように自分のことしか考えない。自分のことしか眼中にない。

 大地震、大津波、火山噴火、ハリケーン、天災は続く…。

 心の時代、精神の時代を声高に叫ぶ頭のいい人たちは多いのだけれど…。

 今、社会の根底で、本当に壊れているものは何なのか。

 …キミはどう思う?

 会長にとって、見知らぬ土地の困った人を助けることも、難病に苦しむ人を救うことも、夜の巷に出て、袖すりあった人と語りあうことも、同じように、私には見える。今日がすべて、明日はないと思い定めて、行動している人、なのだ。

 このブログも同じである。自他共に認める機械オンチ、アナログ人間なのに、無謀すぎる、との周囲の声も聞かず、新たなる出会いを求めて。

 会長と語るのに別に構える必要はない、気楽にお酒を飲み乍ら、の気分でいい。

 年令も肩書も関係ない。心と心のふれあいに垣根はないもんね。

中には、疑り深い人も中にはいるだろう。よろしい。自分の感性、自分の心眼で見極めたまえ。それが一番大事なことだ。誰とて生かされている時間は短いのだから。

 このヒゲのオッサンはオヤジギャクも出るし、時には説教もこく。

人とは張り合わない。甘ったれた根性のやつは無視する。

 明るく前向きに、周囲の人を大事にして生きている人は必ず応援してくれる。口の利き方は少々荒っぽいかも知れないが。

しかし、君が今迄出会った多くの人とは違う、と思う事だけは予測出来る。

 くれぐれもナメて掛かるべからず、手強ぅえーぞーお!!!

                ブログ案内人 久我令子

                 

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