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2007年3月12日 (月)

vol.8 恋患いは病ではない

 病気は病気という名の罪である。刑務所も病院も反省と心懸け次第で、出所も退院も早くなる。短縮出来る。病は何処からもやって来ない。自分で造っているのである。そして、自分で体罰を与えているのである。病気は病気という名の犯罪である。被告も原告も裁判官も本人なのである。
 人は何故病に罹るのか。恋患いという言葉が有った。否、今でも有るのかも知れない。昔は男も女も純情で、この恋の病に罹った人が多かった。人を慕う事、人への想いを深くするのは素的な事である。若い時は皆経験するものだ。真しく青春である。それが何故患いなのだ。
 人は恋した時、胸がキューンと締まる感覚になる。その人の事を想う時、胸が詰まり、苦しくなる。
 その人に面した時、心臓が早鐘のように鳴り、破裂しそうになる。患いという字は心臓を串刺しにした状態である。漢字は上手く出来ている。
 恋をして、その想いを相手に告げられない時は、その想いが募れば募る程胸がキューンとなって、心臓が串刺しになる。頭の中は相手への想いで一杯になる。何処を見ても視界の先に相手がいる。何もかも相手に見えてくる。幻状態だ。思考能力は幻に占領される。食欲は減少し、睡眠時間も幻に奪われる。真しく、頭脳・視覚・聴覚・味覚と次々に乱れ、病状態である。恋をする事は素的な事なのに、何故こうも苦しく、病状態になるのであろうか。
 恋患いは病院に行っても受付の科が無い。温泉に行って名湯に浸かっても治らない。どんな妙薬も効きめがない。恋患いは人やモノに頼っても何の意味もないのだ。
 恋患いは病ではない。病の症状に似ている丈なのである。この恋患いは、その想いが相手に通じ、相手が受け容れてくれた時、消滅する。一方通行の間だけ起きる現象なのである。
 想いが相手に通じ、二人は交際を始める。恋は愛に発展する。相思相愛である。幻が現実となり、相手の事を想う時、胸が熱くなり心が躍る。血流が良くなり肌が艶々と光る。何を食べても美味しく、何を見ても綺麗に見える。周りの事が気にならなくなり、その寛大な心は少々の事では腹が立たなくなる。人に優しくなる。悩みは無くなり、幸福一杯になる。愛は人を育む。愛は人を成長させる。病には罹らない。病が発生しない。
 と、順調にいけば良いのだが、その想いが通じない時、恋患いは頂点に向かい、不幸のどん底へと落ちていく。悶え、苦しみ、身を焦がす。身も心もボロボロになり、ホンモノの病に罹る。胃や肝臓や肺に疾患が生じ、病院が受け付けてくれる。対症療法で、それ以上悪化しないように努力してくれる。しかし、治る訳ではない。失恋の痛みを止めてくれる訳ではない。  痛み止めはないものか―― つづく。

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