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2007年3月16日 (金)

vol.12 孤独では本当の愛は学べない

 我々はこの世に何をしに生まれて来たか、という事を知らねばならない。その目的の為に生まれて来たのだから。何の為に勉強しているのか分からない勉強程、意味のないものはないだろう。
 何の為に生きているのか、という事を勉強しなければならない。何の為に勉強しているのか、という事を勉強しなければならない。
 我々はこの世に「人」ではなく、人間として生まれて来たのである。
 我々は人と人とのコミュニケーションによって、愛を学び、愛を育む事によって成長し、人間として素晴らしい人生を送り、来世に向かって旅立つのである。孤独では本当の愛は学べない。
 離れ小島ではなく、混沌としたこの魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界で、清と濁を合わせ持った人間が、どうすれば素晴らしい人生を送る事が出来るのか。素晴らしい人生、素的な人とは、その人が査定判断するものではない。
 本人が「私は素晴らしい人生を送っている」「私は素的な人間だ。誉(ほ)めてやりたい」なんて決めつけるものではない。唯の勘違い、思い上がり、自己満足である。
 人の価値は本人以外の人が決めるのである。
 本人が大した事をした積もりではないのに「あの人は凄い、あの人に助けられた」「あの人の生き方に感動した。勇気を貰った」と感謝され、尊敬され、本人以上に評価される事が本物の素晴らしい人なのだ。その評価に対して、大した事はしていないのだから、恐縮して逆感謝する。評価に対して感謝し、より一層の努力をする、それが本当の素的な人なのだ。
 自慢話をしたり、威張りたがる人によく出会うだろう。その言動自体、自分の次元の低さとつまらなさを披露しているのだから、そういう人を尊敬する人はそれ以下である。本物の馬鹿である。馬鹿を尊敬する馬鹿である。
 山に登って心も体も清めた積もりでも、山を下りて三日もすりゃ元の木阿弥(もくあみ)、無駄な時間を過ごしただけである。何か成長した積もりでも、積もりは積もり見積り書に過ぎない。評価は本人がするものじゃない。そんな暇が有ったら人の事を考えなければならない。人の事を想わなければならない。
 自分の為に費やす時間は、無駄を越えて、自我欲ゆえに害となる。内にも、時には外にも害となる。病に罹る。
 ムカついて反論したくなった人も、もう一寸我慢して―― つづく。

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