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2007年3月27日 (火)

vol.14 三原欲から飛びたつには

 食欲、性欲、快睡欲…この三原欲を充たす為に、生きとし生けるものの全てが、生きる為に、生き延びる為に、懸命に、必死に努力をする。そして、その夫々の寿命が来るまで、この自然界に生息する。
 さて人間だが、この三原欲が足りた所から、その人の生き方が始まる。修業が始まる。
 三原欲だけなら他の動物と変わらない。唯々、食って出して眠るだけの、単純な循環動物、排泄処理機である。
 食物を得る事は必要不可欠である。生殖も人間を絶やさない為に必要である。
 だが、人間はそれだけではいけない。それだけの為に、この世に生まれて来たのではない。素晴らしい人生を送らなければならない。素的な毎日を過ごさなければならないのだ。
 
 素晴らしい人生とはどんなものか。素的な毎日とはどんな毎日か……。
 毎日毎日を自分の事ばかり考え、自分の為にのみ行動する者を人は好きになるだろうか。愛されるだろうか。間違いなく嫌われる。愛されない。そんな決まりきった当然の事を、何故人間はしてしまうのだろう。そんな人が一杯いる。多過ぎる。
 自我欲に取り憑かれた、自我地獄に陥った低次元の人間には、本当の幸福というものが見えていないのだ。三原欲の域から、その次元から脱け出さない限り、永遠に盲目で終わる。自分の事だけを見、人の事が見えない、見ようとしない盲目の病である。
 自分だけの事を思っていると、人の言う事は自分の都合の良い事しか耳に入らない。都合の悪い事は耳に入っても出て行ってしまう。残らない。人の言葉を聞いても聴こえていないと同じである。聴覚障害である。
 人を見、人の言葉を聞くから見聞が広まり、世の中が見えてくる。そうすると、自ずと自分の位置が分かる。自分の位置が分かれば自分の役割が分かる。役割が分かれば、行動が生まれる。三原欲の次元から飛びたつ事が出来るのである。
 ところが、これが仲々簡単にはいかない。「人を見、人の言葉を聞く」という、素直な心境に至るには、最大の障害、御存知「我」「我欲」が立ちはだかっているのだ。最大の障害、最大の病である。
 人は何故病に罹るのか、段々分かって来ただろうか。
 病に罹りたくなければ、この「我」を少なくすれば良い。我欲を取れば良い。
 さあ、どうすれば取れるかな――つづく。
 

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