« 2007年3月27日 | トップページ | 2007年3月30日 »

2007年3月29日 (木)

vol.15 魂で勉強する人にメモはいらない

 我欲を取るには、取りたくならなければならない。取りたくもないのに取れる訳がない。厄介なのは、その我欲を取り去ろうと思う事自体、我欲であるという事である。
 「じゃあ、どうすれば良いのよ!」と、開き直る。それこそ「我」なのだ。厄介なのだ。
 では「我」を取る方法はないのか……無い。
 「じゃあ、諦めるしかないのか、せっかく勉強して来たのに」
 “はい、済いません。実は何も御座居ません” これが私の答です。
 “一寸待って、ここまで来たのだから、もう一寸待って私の話を聞いて下さい”
 字というものは読んではいけません。字を目で追い乍ら「心」で聞くんです。でないと一万冊の本を読んでも「過ぎたる三原欲」と同じ。排泄処理機である。
 皆さん、色んなセミナーに偉い先生の話を聞こうとお出ましになりますが、本と一緒で、一万回聴いても何の役にも立ちません。
 先ず、「素敵な言葉だ!」と、メモをする人がいる。忘れないようにしよう、という意識が働いていますね。忘れてしまうと勿体ないから、高いお金を払ったのだから、為になるから、我が家の家訓にしても良いと思うから……etc
 次に、壇上に上がっている先生自体、つまらん人が多い。ホンモノが少ない。メモをして貰って喜んでいる先生が多い。
 素晴らしい、と思える事は誰でも言える。偉そうな事は、素晴らしい事は誰でも言える。誰でも書ける。
 壇上で説教をしている人よりも、それを聴いている人の方が、余程次元が高いという現場を何度か見て、笑ってしまった事がやはり何度かある。
 そもそも、メモを取らなきゃいけないような言葉に“実”は有りません。
 「言の葉の多き所に実は無し」と、昔から言われているじゃないですか。
 人の心を打つ言葉というものは、人の心を奪うものです。時間を感じさせないものです。人の魂を揺さぶる言の葉です。そんな素的な言葉、話を聞いて、何故メモが必要なのか、不思議である。
 言ってみれば頭で勉強する人にはメモが不可欠、魂で勉強する人には、壇上の人の一言一句を聞き逃さない、一挙手一投足を見逃さない集中力が不可欠、という事である。メモをしている暇は無い。魂で聞いているから、素晴らしい言葉は一生忘れない。これが本当の勉強会、セミナーです。 
  さあ、これからだ――つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年3月27日 | トップページ | 2007年3月30日 »