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2007年5月 1日 (火)

vol.20 才能と人間性は別物である

 人は皆、素的になりたいと思っている。人は皆、素晴らしい人生を送りたいと思っている。と、思いますか? 素的な人間、素晴らしい人生を誤解してはいませんか? 自分にとって都合の良い素的であり、素晴らしい、ではありませんか?
 本当の素的、本当の素晴らしさを知った時、多くの人はその望みを捨てる。素的にはなりたくない。素晴らしく生きたくはないのだ。
 本当の素的、本当の素晴らしさを本当に望むようになるには時間が費かる。望まないから時間が費かる。生涯望まないで死んでゆく人が多い。死ぬ間際にやっと望む人がいる。遅い。

 人は素的になればなる程、「我」が取れていく。素晴らしくなればなる程、「我」が少なくなっていく。その人の中に自己への欲が住み着けなくなって行くのだ。
 多くの人は有名になりたいと思う。卓越した才能を持った人を素的だと思う。卓越した才能を発揮すれば有名になり、人々の羨望の的となり、自分もなりたいと思う。その人が目標で、希望で、勇気となる。素晴らしい事である。とても良い事である。
 が、それが純粋な尊敬で、憧れで、目標なのと、唯、その人のように有名になりたい、唯、その人のように卓越した才能を発揮したいと思うのでは、天と地程の違いがある事を知らなければならない。
 卓越した才能(技術)の持主が、卓越した人格者であるとは限らない。
 才能に溺れて身を持ち崩していく人が多い。素晴らしい才能と素晴らしい人とは必ずしも一致しないのである。
 では、何故素晴らしい才能を持ちながら、身を持ち崩して終(しま)うのか。
 それは目標の源、根本が間違っているからである。
 有名になって人々の羨望の的になりたいという名誉欲、それによって得る富という物欲、この二つの柱によって建った城は、その“小我”という小さな城は、やがて崩れる運命にある。
 多くの人は名誉と富を美と考え、目標とする。多くの人は金さえ有れば何でも買える。買えないものは何一つない、と豪語する。そして、その瞬間から奈落の底へ真っしぐらに落ちていくのである。落ちてから、落ちた事に気付き、落ち込む。只の馬鹿である。人間としては未だ幼稚園にも行けない。幼稚児なのである。
 ホンモノ探しはこれからだ――つづく。

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