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2007年7月25日 (水)

人は何故生まれて来たか

vol.26 人は様々な人生を送る

 人は何故生まれて来るのか。他の生物と同様、生殖の為のみに生まれて来るのか…否。
 人は何故生きるのか。他の生物同様、食欲性欲睡眠欲の為のみに生きるのか…否。
 人は一人で生まれ来て一人で死して行くのか……否。
 人は生まれ来る時、生まれて来たくて生まれ来るのか……否。生まれたくないのに生まれて来るのか……否。人は何故生まれて来るのか……

 何故生まれて来たのか、を知らずに生きていく人は不幸である。
 何故生きて来たのか、を知らずに死んでいく人は不幸である。
 人は何故死にゆくのか、を知らずに死ぬ人は不幸である。

 その子は両親の生殖行為によって、母親の胎内に宿る。 
 その子は胎内で育ち、やがて世に誕生する。その誕生から死までの時間を人生という。
 その子がどういう人生を送るかは、此のスタートラインの“誕生”が大きく大きく関わり、左右する。
 両親が愛し合い、周りにも祝福され、恵まれた形でその子は誕生する。幸福のスタートラインである。
 両親に愛がなく、周りにも反対され、不遇の形でその子は誕生する。不幸のスタートラインである。
 人は様々な誕生をし、様々な人生を送る。人は皆違うのである。人と自分を比べてはならない。同じ人生を送るのではないから比べ様がない。
 同じ様な境遇の、幸福な誕生をした人達が、皆幸福な人生を送るとは限らない。どう生きるかによって幸福になるか、不幸になって地獄に堕ちるか……それはその人自身の生き様の結果である。
 他力によって人は幸福になる事はない。幸運とは、自分が招いた結果なのである。
 他力によって人は不幸になる事はない。不運とは、自分が招いた結果なのだ。
 全ての原因は自分だから、幸も不幸も人と比べ様がない。比べても全く意味がないのである。人を羨んでいる人は其処が分かっていないのだ。たった今から羨むという汚い心を捨てて見よう。霞んでいた眼がスッキリして、身も心も軽くなってる自分に気付くだろう。人はわざわざ自分で自分を“厭な奴”にしているのである。     つづく

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