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2007年8月 6日 (月)

vol.27 死とは借り物の肉体との決別である

 人は生まれて来る限り、生きる義務がある。
 人は生まれて来た限り、生きる権利がある。
 人は何故その義務を放棄して自殺をするのか。どんなに辛い、どんなに苦しい状況に追い込まれても、人は自殺をしてはならない。自殺をすると楽になる、現世の苦から解き放たれるという誘惑に駆られ、自殺をする。自分の犯した罪を死を以て償おうと自殺をする。
 自殺をしても何も楽にならず、何の償いにもならないと言う事を知らねばならない。
 人は皆、魂で生きているのである。人の本体は魂である。人の魂は未来永劫、永遠と生き続ける。魂は現世に、その与えられた肉体を借りて生き続ける。与えられた肉体を通じて修業をする。
 生とは魂であり、永遠のものであり、死とは借り物の肉体との決別である。
 この借り物の肉体は皆条件が違う。一緒の物は一つもない。その短くもあり長くもある“寿命”を持った肉体との決別が、今生での死である。
 今生での別れと同時に、魂は来世へと向かう。続きを生きるのである。
 魂は今生での肉体に出逢い、宿り、その肉体を通じて様々な事を勉強させて貰うのである。魂は肉体に宿らない限り人になれず、成長する事も出来ない。その与えられた借り物の肉体を粗末にして、寿命前に病死したり、自殺をしてはならない。魂の修業の場を、その期限まで使わず、あろう事か自ら縮めたり、消滅するという事がどういう事か…その怖ろしさを知らねばならない。
 良い物を与えても大事にしない人には、次には良い物を与えたくなくなるだろう。
 良い事をして上げても感謝の足りない人には、何もして上げたくなくなるだろう。
 今生での肉体を粗末にした魂は、来世で“感謝”を勉強する為に不具、不自由の肉体に宿る。その不自由な肉体の中から生きる喜びを知る。与えられた命(肉体)に感謝する。どんな状況でも、どんな条件でも生きる義務がある事を学ぶ。決して与えられた肉体を粗末にしたり、自ら消滅させてはならない事を知る。知らねばならないのだ。
 今生での苦難は全て自分が行った事の結果だから、必ず自分でその苦難を乗り越える事が出来る。自分の尻は自分で拭わねばならぬ。誰も拭いてはくれない。その努力もせず、その肉体を殺したら、その後に恐ろしい天罰が待っている事を知らねばならない。今生での修業は、その与えられた肉体で寿命まで、自ら縮める事なく懸命に生きる事にある。決して逃げてはならない。必ず解決の道がある事を信じ、寿命まで生き抜こう!
  つづく

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