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2007年8月22日 (水)

vol.30 その人の本性は隠す必要もなく顕れている

 人は余裕が有るから人の事を考え、慈しみ、施す事が出来る。
 だが、自分に火の粉が降り掛かって来たらどうだろう。そんな時、人の事を考えていられるか。自分に降り掛かる火の粉を払うのに精いっぱいになり、人の事等何処かに飛んで了いはしないか。
 自分が貧に窮した時、それまで有ったと思われる慈悲の心は跡形も失くなり、自分の欲を満たす為にのみ奔走し、遂には人の物まで欲しくなりはしないか。
 
 人の心は、人の魂は状況に応じて仏や神にもなれば、鬼や悪魔にもなる。善と悪が同居する「人」という動物、厄介な動物である。

 人は究極の事態に面した時、本性が露呈する。善きも悪しきも、夢中になった時、その人の本体が飛び出して来る。

 人は普段、魂(本性・本体)を心(学習による教養)というオブラートに包んで生きている。その魂は普段、心の奥に隠れてはいるが、よーく見ると心の表面に滲み出ている……隠そうとしても、隠した積りでも滲み出ているのである。観察力の有る、洞察力の深い人は、それを発見出来る。服装や飾りの言動に惑わされる人は、修業が足りない。次元が低い。

 自分が貧に窮していても、人の事を想い、自分の事を後にして人の為に奔走している人を見た事があるだろうか。その人こそホンモノである。その人こそホンモノに近い人である。その人にも有る善と悪の比率、善の部分が悪より遥かに多い人、魂の高尚なる人、次元の高い人である。ホンモノである。二重顎や太鼓腹、高級車に乗って豪邸に住む人はニセモノである。それ丈で自我を優先している証しである。
 その人の本性は、隠す必要もなく顕れているものです、よーく観れば。
 天は人の内なる善と悪、その善が悪に打ち克つ為に、我々を今生で修業させて呉れているのである。
 その善をホンモノにする為に、天は悪魔、サタンを差し向ける。戦争という大きな犠牲を払って、人類は勉強しなければならないのである。  つづく。

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