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2007年10月 3日 (水)

vol.40 自慢話に神様はいない

“自分中心に喋る”のは自信がなさ過ぎる人と、もう一つ、自信があり過ぎる人に多く見られる。喋る事の八割以上が自己表示の、自信のない人には閉口するが、自信過剰の人の話はもっと酷い。ヘドが出る思いを経験した人も多いだろう。結構あちこちにそういう人が居る。自分もそうならない様に気を付けねば……。
 この自信過剰の人は、放って置けば、そのまま成長が止まり、やがて人間として腐って了う。駄目になりたくなかったら自慢をしない事だ。
 自慢話をする人には、少なくとも好感は持てない。所が、好感を持つ人がいる。持てる人がいる。
 好感を持てる人は、その人と同じ道を目指す人であり、とても叶わぬと羨望の目で見ている人である。それならば分かる。そういう人には自慢話は通用する。喜ばれる。
 自慢話の根っこは自己満足である。「あなたは素晴らしいですね」「凄いですね」と言われて、言わせて、自分に大満悦するのである。御本人は気が付かないが、一寸引いて、その人を見ると何と小っぽけな、下らない人間かが分かる。
 腕力の弱い人間が強い人間に憧れると、強い人間は気を良くして、自慢話をする。武勇伝が始まる。「あの時は何人やっつけた」「大男をあっという間に倒した」と、手柄話が佳境に入ると、益々興奮し憧れからヒーローへと登り詰める。
 一生懸命働けど、働けど生活は楽にならず、何時も金に困っている人は、短期間に大金持になった人に憧れると、大金持は気を良くして自慢話をする。頭の良さをひけらかす。その出世談に、憧れから信奉となり、神格化されていく。
 金儲けに神様はいない。経営に神様は存在しない。何故なら、儲ける者がいれば、必ず一方で損をする者がいるからである。平等なる神は、どちらにも味方しない。金儲けの神頼みは、無駄の骨頂である事を知らねばならない。
 腕力や暴力を嫌う人は、武勇伝には何の興味も示さない。幾ら、俺は強いんだと誇示しても軽蔑される丈である。
 物欲金欲の少ない人に、幾ら俺は大金持ちだと自慢しても哀れまれる丈である。
 自慢話は、本当の価値を知らない人にしか通用しない。借金だらけで四苦八苦している人を集め、私は一億円持っていると言うから威張れる。が、十億円持っている人の所へ行って、一億円持ってると威張れはしまい。
 自慢とは弱者や貧者に勇気を与える所か、馬鹿にして優越感に浸り、その人達を益々貧者に、不幸にして行くものなのである。注意して上げよう……つづく。

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