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2007年10月15日 (月)

vol.45 一番の敵は己の中にある

 内なる獣とは何であろうか。外なる獣との闘いは楽である。自分が正義であるが故に、非常に気持良く生甲斐を持って闘える。世間の賛同も応援も得られる。だが、内なる獣との闘いは難しい。何といっても相手が自分である。どうしても甘やかしたくなる。身内贔屓である。獣といえども自分の裡に有るものである。嫌悪感に苛まれていても我が身内だ、その制裁には時間が費かる。ついつい一日延ばしになる。一日延ばしをすればする程、嫌悪感も募る。そして愈々裁断の時がやって来る。その時は完膚無き迄、やっつけなければならない。でないと内なる獣は、又ムクムクと勢力を持ち直して来る。
 獣を撲滅するには鬼になるしかない。心を鬼にして身内なる獣を退治しなければならない。言うは易し行うは難し、これが仲々一朝一夕にはいかない。厄介なものである。一番の敵は己にあるのである。
 大体人間はある程度生きて来ると、大した事もないのに自分を壊すのを恐れる。何か築いて来た様な気でいるからだ。錯覚である。
 本当に築かれた本物の城は壊れない。何があっても微動だにしない。
 積りだから、錯覚だから、未だ途上だから、一寸した事でも脆く、崩れる。何も築いてはいなかった事に気付かねばならない。
 政治のトップの座に居ても、たった一言の失言で失墜する。大体、失言という言葉が可笑しい。失言なんて言葉は、本来心にも無い事を言って了う事だが、人は心にも無い事は言わない。ずーっと心の中に仕舞って置いた言葉が、その本音が自制心を欠いた時に飛び出して来るのだ。油断して本性を出した丈である。元々そういう人間なのだ。化けの皮が剥がれた瞬間が失言という形で表われた丈である。
 人は何か築いた積りでも大したものではない。その城は泥かも知れない。ガラスかも知れない。だから、安心して解体すれば良い。未練たらたらの気持を捨てて、潔くぶっ壊せば良い。それが出来れば、次にはホンモノの城が建つ。
 壊す事の勇気が持てれば、内なる獣と闘うのはいとも簡単である。内なる獣――我欲なんてものは解体作業の中で脆くも消滅して了うものである。 
 人に良く思われ様とする自尊心は、自己解体に依って消え、人に勝とうとする競争心は、その元にある自尊心の消滅に依って必要性が消える。名誉欲、征服欲という、大それた獣欲も、此の自己解体という作業の中で次々と滅びてゆく。そして人々の中に本当の平和が生まれて来るのである。     つづく。

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