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2008年2月15日 (金)

vol.61 人皆善也、悪皆己也

 人皆善也、悪皆己也。善き事は皆己ではなく人のお陰、悪しき事は皆己で人の所為ではない、と思える様になると腹の立つ事はなくなる。腹を立てる理由がなくなる。善き事、手柄も己ではないのだから得意になる事もない。
 自分が悪くないのに何故自分が悪い、と思わなければならないのか。悪いのは相手であって断じて私ではない、と立腹する人がいるだろう。理不尽にも殴り掛かって来た相手に立ち向かい、怪我をさせて了った。「正当防衛である。身を護る為には致し方がなかった」と言うだろう。確かにそうである。どう考えても暴行を受ける筋合はない。相手が悪い、法的にも正当防衛は認められる。
 だが、よーく考えて見よう。何故自分に襲い掛って来たのか、何故自分なのか……。
 嘗て、恨まれる様な事はしていないか。不愉快な思いをさせていないか……。無意識の中に人を傷付けているかも知れない。全く理由が見当らなくても、必ず理由がある。理由のない現象は有り得ないのだ。理由が直ぐに思い浮かばない理由程、奥が深い。罪深いものである。
 暴行を受け、抵抗も出来ず傷付けられた人がいる。「何故暴行を受けなきゃならないんだ、何て奴だ!」と相手を恨む。当然である、殴られる筋合はない、被害者である。と誰もが思うだろう。
 だが、よーく考えて見よう。一見、加害者と被害者が判然(はっきり)としていて、善悪の区別が付け易い様に思える、此の事件。実は、加害者が被害者で被害者が加害者であった、という事も多々あるのである。自分の胸に手を当てて、よーく考えて見よう。必ずその原因に突き当る。「私は絶対に悪くない」と、心を閉ざしたら原因には行き当らない。悪しき事は必ず私に在る、と思える様に訓練しなければならない。でないと、何処までいっても成長する事は出来ない。人間として伸びる事は出来ない。
 善き事も悪しき事も全て当然の結果である。自分の行動の結果である。だが、善き事が起きた時、それを自分の手柄と思わず、人様のお陰と思えれば、自然と感謝の念が湧いて来る。悪しき事が起きた時、それは全て自分の不徳と反省すれば、憎悪の念が消えていく。この訓練を続ければ、自ずと険しい顔は柔かく優しい表情となる。慈悲深い、愛に溢れた素晴らしいエネルギーを発散する様になる。人の成長は人とのコミュニケーションに依って培われる。
 さあ、今日も書を捨てて人に逢いに行こう! つづく。

 

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