« 2008年3月5日 | トップページ | 2008年3月14日 »

2008年3月11日 (火)

vol.63 誰をも愛せる人は異常である

 人は人を愛する事を勉強する為に現世に生まれ、今生を修業し来世に旅立つ。
 愛の浅き者が愛を深め、今生を卒業する。優等生なら卒業する。
 然し、卒業出来ない者も数多い。幾ら勉強しても卒業出来ない、劣等生である。もっと酷いのは、生まれ来た意味も目的も知らず、知ろうともせず死していく者も数多くいる事だ。劣等生以下である。生まれ来た価値もない。そういう人は、平気で人を傷付け世の中の害になり、最後は地獄の底を這いずり阿鼻叫喚の中に死んでいく。
 人は誰も恨まれたくて、憎まれたくて生きている訳ではない。人は誰も恨みたくて、憎みたくて生きている訳ではない。
 人は誰しも愛したく生き、愛されたく生きている筈である。なのに、世の中は何故憎悪が氾濫しているのか。醜い戦いが毎日地球上を、世界中を駆け巡っているのか。
「清く正しく生きる」なんて言葉は非常に軽く、空しく聞こえて来る。清く正しくなんて言葉は死語になりつつあるのか。
 今まで立派だと思ってた人が、実はとんでもない悪人だったなんて事は日常茶飯事で、吃驚仰天する事ではない世の中になって了った。尊敬される聖職者の筈が性犯罪者であったり、人を取り締まる側の警官が罪を犯し、同じ仲間に取り締まられたりと、一体誰を信じたら良いのか分からない世の中……どんどんどんどん環境汚染と肩を並べて、人間腐敗も進んでいく。これから次代を担って行かねばならない若者達、これから生まれて来る新生児達は、何を見本として、何を目的として生きて行けば良いのか……。大人達の責任である。
 大人達よ、危機感を持たなければならない。地球を清く正しい平和な世界にする為に、今迄汚して来た大人達が、今生ある中に反省し、責任を取らねばならない。
 ゴルフをやっている場合ではない、麻雀をやっている場合ではない。子孫の為に働かねばならない。子孫に感謝される様な人生を、終り方をしなければならない。
「誰をも愛せ」とは言わない。「誰をも愛しています」と言う人がいたら、偽善者であると決めつけても良い位、自我欲の塊の様な人が圧倒的に多い。
 数学的論理から言えば、誰をも愛せる人がいたら、その人は異常である。誰をも愛せる訳がない、変人である。異常者である。困った事だと嘆いている事態ではない。
 誰をも愛せる人にならなければならない。誰をも愛せる様に努力をしなければならない。汝の敵は汝の中に有る。為せば成る……が。 つづく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年3月5日 | トップページ | 2008年3月14日 »