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2008年3月14日 (金)

vol.64 因は前生、縁は現世である

 誰をも愛せる様になるには何うすれば良いか。
 誰をも愛せる様になるには、先ず“誰をも”という此のとてつもない大きなスローガンを取り外す事から始めねばならない。でなければ直ぐ挫折する。
 人は皆、自分の内に正反対のモノを持ち合わせ、共存共生しながら修業するのである。だから、必ず好きな物があれば嫌いな物があるのである。この好きと嫌いのバランスの取り方で、人から好かれたり嫌われたりと変化する。
 嫌いなモノが好きなモノより圧倒的に多いのは、修業が足りない証拠である。怠け者である。好きなモノが嫌いなモノより圧倒的に多いのは、良く修業して来た証しである。優等生である。
 優等生になるには、どの様に修業をすれば良いのか。
 先ず“誰をも”とか“全てを”という目的を捨てる事から始めなければならない。今直ぐに実行出来ない目標は、直ぐ出来ない事に気付き、自分に幻滅を感じ自己嫌悪に陥る。そして挫折して了うのである。
 先ず実行する事は、一番克服し易い“嫌い”を探(み)つけ、一番自信のある“好き”と闘わせる。当然、力の差で“好き”が勝つ。そして次次と克服し難い“嫌い”に挑戦しながら、難敵中の難敵に近付いて行くのである。
 人は、人であれ物であれ好き嫌いが有る。有って当然なのである。それが全く無ければ此の世に生まれては来ない。修業は終わっているのだ。
 軽い“嫌い”から始めよう。何故か虫の好かない人、何処と言われても良く分からないが、敢えて言えば、言葉遣い動作が気に入らないという人が居ないだろうか。これは、前生からの因縁が影響している事が多い。前生で敵同士であったか、一方的に害を受けていた事が多い。だから初対面でもムッと来る。訳も分からず反省する必要はない、前生で被害者だったのだから。でも、だからと言って前生を引き摺って復讐するというのでは、此の世で会った意味がない。人は許す為に生まれ来たのである。前生で許して上げられなかったから、今生で出会い許して上げるのである。
 因は前生、縁は現世と理解すれば良い。因で出来なかった修業を縁で達成し、人格が向上して行くのである。今生の中にも因縁が有る。生まれ来てから昨日迄が因、今日が縁である。昨日、自分に害を与えた人に今日出会ったら、それは、今日許して上げろという天のサインである。それが出来たら、その憎しみや恨みを将来に持ち越さなくて済む。幸福に一歩近付く。  つづく。

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