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2008年5月 2日 (金)

vol.68 欲という目の曇りはホンモノを見つけられない

 自分の中にある欠点や厭な部分を持ってる人と出会うと、どんな気がするだろうか。自分とそっくりなので吐き気がする程その人に嫌悪感を抱くだろうか。自分と同じ欠点なので、妙に安心し理解し合い、仲良くなるだろうか。
 その人に嫌悪を感じるという事は、自分も人に不快や嫌悪の感を与えているのだから、と反省し、改める様にするのか。その人にも指摘し、共に改める様に努力するのか。いずれにしても嫌悪を感ずる人に出会ったら、向上・進歩・成長するチャンスである。決して逃げてはならない。逃げると永久に成長する事は出来ない。永久にホンモノにはなれない。
 ホンモノ、ホンモノ、ホンモノと、矢鱈ホンモノを探してる人がいるが、それは本人がニセモノだからである。そういう人に限ってホンモノに会ったら、そそくさと逃げ出して了う。ニセモノだからである。自分がニセモノである事を見破られるのが怖いから逃げ出すのである。逃げ出さないと生きて行けないからである。
 逃げなくともホンモノは初めから見抜いている。ホンモノだから、見抜かれているんだから、観念して本当のホンモノになろうと、ホンモノに教えを乞えば良いのだが、ニセモノはその絶好のチャンスを逃がし、自ら逃げ出して了う。勿体ない話である。
 ホンモノは打算が少ない。限りなく少ない。ニセモノは打算が多い。限りなく多い。ニセモノとホンモノが肩を並べれば、誰が見ても一目瞭然で違いが分かる。だからニセモノはホンモノと肩を並べたくないのである。
 ニセモノは主目的の利益追求を隠し、人の為人の為と善人ぶる詐欺師である。決して善人ではない。善を偽る偽善者である。
 ニセモノとホンモノを見分けるのは簡単だが、その人の目が曇っていたら見分けられない。欲という目の曇りは、ニセモノをホンモノと思い、ホンモノをニセモノと理解して了う。此処に詐欺が成立する。此処にニセモノが繁盛する理由がある。
 ホンモノになりたければ自我欲を削る事である。自我欲を削らずにホンモノになる事は出来ない。自我欲そのものがニセモノだからである。削りたくなければ諦めて、永久にニセモノでいれば良い。決してホンモノぶってはならない。そして、ニセモノ同士で鎬(しのぎ)を削り、地獄へ地獄へと落ちて行くのである。それが厭なら、食欲性欲快睡欲を必要以上に求めず、余分な物は持たず、人に夢中になる事から始めよう。人に夢中になる事を最大の、唯一の趣味としよう……  つづく。

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