« 2009年1月7日 | トップページ | 2009年2月2日 »

2009年1月 8日 (木)

vol.93 メッセージ2 ホンモノに競争は無い

 人は欲の無い人間の事を阿呆と言う。ならば、阿呆はホンモノである。ホンモノ中のホンモノの人間である。
 ホンモノには競争心が有りません。全く無いのです。人に勝って一喜、負けて一憂。
 ホンモノに一喜一憂という言葉は有りません。負けた人は惨めになり、口惜し涙を流します。人の犠牲の上に立つ幸福をホンモノは嫌います。勝っても負けても嫌います。
 利害の無い草野球は勝っても負けても娯しいものです。それが、プロ野球となると、どうだろう。チームには各地方のチーム名が有ります。地元の人達の多くが、そのチームを熱烈に応援します。然し、そのチームの選手に地元の人は殆どいません。地元の、地元から選出された選手は皆無に近い。そんな寄せ集めのチームに、地元の人は熱心に応援するのです。中味はどうでも良い、地元のユニホームが勝てば良いのです。
 選手はどうでしょう。彼等は商売でやっているのです。庶民の給料の何十倍も何百倍も貰って、必死で懸命に仕事をしているのです。チームの勝敗より個人個人の成績が全てなのです。成績が上がれば、その分給料が上がり、下がればその分下がる。下がりっ放しだと容赦なく解雇される。スポーツというより、死活問題の仕事なのです。そんな試合を楽しんで観、一喜一憂しているファンの人達……。選手に、チームに、自分の人生を反映させて応援しているファンの人達……。身体の為に、楽しいからと伸び伸び遊んでやっている草野球と、プロ野球とは無縁に近い程、違うスポーツなのです。
 自分を厚遇で迎えて呉れる所なら何処でも良い。コロコロとユニホームを着替える選手達に、そのチームの地元愛等不要である。そういう人達を地元のファンは応援しているのです。御一考の値打有り。
 オリンピックはスポーツの祭典と言うが、中味は必死です。優勝して帰国すれば国を挙げて迎えて呉れるが、惨敗して帰れば見向きもされない。参加する事に意義が有る、という言葉は死語なのか。
 オリンピックはオリンピックという名の、国と国との戦いである。幾つメダルを取って帰るかを競う、国と国との闘いである。勝つ為には、メダルを取る為には手段も選ばない選手も出て来る。
 人間という動物は本来、闘い度くて仕様のない、厄介な動物である。その闘争本能を、そのエネルギーを「愛」に転換したら、世の中から戦いが無くなる。競争が無くなる。それがホンモノなのである。一人一人がホンモノに成って行かねばならない。平和は……遠い。    つづく。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2009年1月7日 | トップページ | 2009年2月2日 »