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2009年9月11日 (金)

隆明の小言・戯言・独言(こごと・ざれごと・ひとりごと)

9. 私は吝嗇を酒飲みにする仕掛人
 
 酒が飲めないから酒場に行っても面白くない、と決め付けてはいけない。間違いである。自分が飲めなくて気が引けるのであれば、店主やスタッフに一杯づつ奢れば良い。とても喜んで呉れる。
 自分が飲まないのに人に奢るのは馬鹿らしいという人は、実は吝嗇(ケチ)である。酒場に行かないのは、飲める飲めないに関わらず、金を出すのが惜しい吝嗇人間なのである。
 吝嗇人間は酒場に行ったとしても、シミッタレた飲み方をする。そういう人と同席すると、段々酒が不味くなる。人間が拙(まず)いと酒も不味くなる。
 大体吝嗇人間は、人にも吝嗇だが自分にも吝嗇である。金は貯まっても、人間性は削れる。金が貯まった分、自分の成長にも吝嗇るから、未熟の侭で朽ち果てる。
 吝嗇と同席したら敬遠するのではなく、説教ぶるのではなく、それとなく楽しくして上げる事が必要だ。何故なら、その日その時縁が有って出会ったのだから、目覚めさせて上げる使命があるのだ。無駄だと諦めず、愛情を以て、先ず楽しくして上げる事である。堅固しい理屈っぽい話は避けて、駄洒落等を所所に入れ乍ら、楽しい話をして上げる。
 一つの話に拘(こだ)わらず、多岐に亘(わた)って話題を展開する。すると、その何処かで吝嗇は反応する。その反応した分野が吝嗇の共鳴する所であり、得意の分野である。それが探(み)つかれば、後は聞き役に転じ、どんどん喋り易くして上げる。
 気分の良くなった吝嗇は、何時の間にか喉が渇くのか、酒を舐める様になり、口も滑らかになって行く。此処ぞ、と一杯奢って上げる。奢り返される。時が経つに連れ吝嗇の口はどんどん流暢(りゅうちょう)になり、吝嗇は吝嗇でなくなる。酒場がこんなに楽しいものとは思わなかったと、それ以来その店の常連となり、他の店にも一人で、又は友を誘い行く様になる。何時の間にか、酒も美味しく飲める様になっている。
 私は吝嗇を酒飲みにする仕掛人である。
 酒はすべからく良い酒でなければならない。良い酒でなければ害である。嫌われる。
 悪い酒は害であり、犯罪にも繋がる。撲滅しなければならない。 つづく。

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