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2009年11月27日 (金)

五木の子守唄

――沈没阻止に人生を賭けた人――

10. 私は三年振りで五木に帰って来た
 昭和六十三年、四月。春爛漫。ポカポカと春の日射しをいっぱい受けて、私を乗せたタクシーが五木村へと向かう。三年振りである。
 山の上の方では、新しい道路の工事がどんどん進み、五木村の人口はどんどん減っていた。今や二百世帯、二千人を割ろうとしているのである。
 私は此の三年間、執筆活動に励(いそ)しんだ。戯曲「ナポレオン」を書いた。五木村への想いを、故郷コルシカを捨てざるを得なくなった、ナポレオンの心情にWらせた。
 ナポレオンがどんどん出世して行く中で、コルシカに帰って静かに暮らそうと勧める母、レティチアに、郷土愛と本当の幸福は何処に有るかを、五木を想い乍ら書いた。
 そして、現代版バイブル「YOU…」「YOU…2 天職」を出版し、三年振りで五木に帰って来たのである。

 五木荘の田山さんは、ニコニコと私を迎えて呉れた。心を打ち解けて、色々私に話して呉れた。淡々と、ゆったりとした口調で、遠い過去を懐しむ様に語って呉れた。

 田山久郎さんは五十六才。此の五木に生まれ、育った。三男坊である。父親が製材業を営み、土地もあちこちに所有していると云う、五木村では相当(かなり)裕福な家庭に育った。
「五木荘」は、山師や偶(たま)に来る釣り客達の為に、自宅の一部を開放した感じで始められた様だ。
 少年時代は良く遊び良く学ぶ子であったが、第二次大戦下の封建的教育や戦争に対する疑問と、反発を内に秘める子でもあった。敗戦の色が濃くなって来ても、校長は
「日本は必ず勝つ」と、朝礼で熱を飛ばしていた。
 そんな時、田山少年は
「相手が悪いんだ。悪い奴をやっつけるんだ」と、思い込むように努力した。
 人吉に通ずる道を、白木の箱を抱いた遺族が、歩いて帰って来る姿を見る事が多くなった。
 昭和十九年。人吉中学校に入学したが、勉強よりも勤労奉仕に駆り出される事が多くなった。
 白木の箱と勤労奉仕が多くなるに連れ、日本が破滅に近付いている事が田山少年にも感ずる事が出来た。     

                                 つづく。

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