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2009年11月30日 (月)

五木の子守唄

――沈没阻止に人生を賭けた人――

12. 青年にとって映画が青春であり全てであった
 当時、東京は遠かった。三十八時間の汽車の旅である。東京は、九州の田舎の山奥に住む久郎にとって、別世界であった、何もかもテンポが違う。凄い勢いで復興を遂げつつあった。夢を求めて上京した久郎青年にとって、此の活況は生理に合った。胸の張(ふく)らむ思いであった。
 日大芸術学部に入った。自分と同じ思いで、全国のあちこちから集まって来た者許りであった。久郎は懸命に映画の勉強をした。監督に成り度かった。友人達と口に泡を飛ばし、映画論を戦わして居ると、何時の間にか朝になっていた。田山久郎にとって最高に楽しい時期であった。青春であった。
 或る夜、新宿西口の、ガード下にある通称「ションベン横丁」の居酒屋で、何時もの様に濁酒(どぶろく)を呑み乍ら、友人達と映画談義をしていた。其の時である。犇(ひし)めき合う店内の奥の方から、二・三人が合唱している歌声が聴こえて来た。何と、それは久郎青年の故郷の唄である。
 五木の子守唄。久郎は心臓が止まる程驚いた。此の大都会東京で、郷里の唄が聴けるとは、夢にも思わなかったのである。
「俺の郷里の人が居る。五木の人が此処に居る!」と、思わず立って歌の方を見る。
「違う違う、田山。今、流行(はや)ってんだよ、あの唄。何だ、お前知らなかったのか。あの映画見逃したな」
「ブンガワンソロ」という市川崑監督の映画が公開され、その中で兵士の一人が郷里五木を想い乍ら歌い、死んで行くシーンが有って、多くの人に感動を与えたのである。

 久郎青年は、故郷に想いを馳(は)せ乍ら奇妙な気分になった。
 地元の人が歌わないのに、全国の人が歌っている。地元の人にとって、此の唄は先祖の人達の実話である。此の唄を歌えば、身に詰まされ、惨めになるから地元の人達は滅多に歌わない。それが全国に拡がりつつある……映画の影響力は凄い!と、益々映画への情熱を燃やす久郎であった。
 
 当時、映画は娯楽産業のトップであった。作れば当たり、何処の映画館も超満員である。当然、映画界への志望も多かった。その狭き、狭き門に向かって、懸命に突き進む久郎。青年にとって、映画は全てであった。
        つづく。

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