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2009年11月20日 (金)

五木の子守唄

――沈没阻止に人生を賭けた人――

6. 平家の落人と源氏の追手が仲良くなって
 四人の話は段々クライマックスに近付く。四人共、口に泡を飛ばし、同時に喋っている。興奮して立ったり坐ったりする人や、身振り手振りをする人、ぐいぐい呑み乍ら喋る人、坐る場所を矢鱈移動し乍ら喋る人と、皆個性がある。自分が興奮して喋り続けているのに、人の話の内容が分かっているみたいで驚かされる。
 口々に喋り乍ら、話の内容は目的に向かって着実に進んでいる様だ。
 話が一段落ついたのか、マスターが私に声を掛けて来た。
「お宅は東京の人かい?」
「ええ、東京から来ましたが、生まれは和歌山です」
「なに、和歌山? 和歌山かね!」探る様な鋭どい眼が急に丸くなった。
「そうです。和歌山生まれの和歌山育ちです」
「そうかー。和歌山かー」と、人懐っこい顔に変わって来る。
 人間というものは、共通点を見出すと急に垣根が無くなって、十年の知己の様に仲良くなれるものである。私と五人の五木村は一遍に仲良くなり、酒を汲み交わし乍ら、色んな話に花が咲いた。
 此処のマスターの父親が和歌山生まれで、腕の良い炭焼職人だったらしい。五木村の炭焼きも今では廃(すた)れたが、昔は盛んであったらしい。和歌山の炭焼技術は高度なので、教えを乞おうと和歌山職人をどんどん受け容れた。
 マスターの父親は、五木村で炭焼きをする中、土地の娘と結婚し住み着いたと云う。和歌山から来て住み着いた人は沢山いるらしい。
 五木村形成の真説は定かではないが、私の気に入った説によると――
 平家の落武者が源氏の追手と戦い乍ら、どんどん追いやられ、遂に此の山奥に到った。平家は、生き延びる為に戦い度くないのに戦い、源氏は、その首を奪らない限り、都へ帰れない。双方共、へとへとである。
 こんな山奥で命の遣り取りをする事に何の意味があろう。武士さえ捨てれば、平家も源氏も無い。長年刃を交わし合った相手の顔に、妙な親近感を覚える。昨日の敵は今日の友……何方(どちら)からともなく刀を捨て、手を結び、此の山奥に住み着いたのだという。此の山奥に住み着いた(居付いた)ので、「いつき」……五木の語源は、こう理解するとロマンがある。  つづく。

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