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2009年12月 9日 (水)

五木の子守唄

――沈没阻止に人生を賭けた人――

19. 眠る暇も無く反対闘争は活発に
 田山さんを中心とする反対派が、村人達の説得に懸命になった。
 建設省は、田山さん達の小さな運動を嘲笑(あざわら)うかの様に横目に見乍ら、お構いなく仕事を進めて行った。
 村人を口説くのは容易ではない。村の大勢は補償基準次第と、ダム建設後の村の振興条件如何という、受身の状態にあった。
 何が何でも反対という、田山さん達の主張は説得力に欠けていた。村の人達の考えの甘さを糾(ただ)すには、勉強不足であった。
「今迄仲の良かった人達が、道で会ってもソッポを向く様になり、訪ねて行っても居留守を使われ、まるで敵(かたき)の様な存在になったですよ」
 田山さん達は、ダムに関する知識や、それが出来たらどうなるか、という事の勉強が不足していた事に気付いた。
 そして、「蜂ノ巣城」で有名になった“下筌(しもうけ)ダム反対闘争”に着眼した。
 闘争のリーダー、室原知幸さんは二年前の四十五年、十三年に及ぶ抵抗の末、此の世を去っていた。田山さんは、此の英雄室原さんの業績を微(つぶさ)に調べ、感銘した。
 此の人の後に続かねばならない。室原さんの意志を、此の五木で貫徹しなければならない。そう思うと、勇気と自信が湧いて来た。
 田山さん達は、熊本に室原氏の支援者だった人を訪ね、講演を依頼した。
 
 同年、十月の或る夜。村中に貼ったビラが大きな反応を呼び、翌日の小学校講堂に於ける講演には、二百五十人が詰め掛けた。水没者世帯の過半数が集まったのである。田山さん達にソッポを向いていた人達も、肚の中で、何処か不安を抱いていたのである。
 此の日を機に、田山さん達の反対闘争は活発になって行った。
「いやー、夢中でした。私は命を賭けたですよ。家の事は女房達に任せっきりで……苦労掛けたです。昼は運動、夜は協議、深夜は勉強と、眠る暇も無かったですね」
 と、語る田山さんの口調に、十二年間に渡る闘争の歴史が滲み出ている様で、私の胸を打った。
                 つづく。

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