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2009年12月11日 (金)

五木の子守唄

――沈没阻止に人生を賭けた人――

21. 国に狙われた村なんて哀れなもの
 ダムに関する知識を積み、その建設に依って起き得る弊害を調べ上げた田山さん達は、テキパキと行動した。内に対しては反対派の結束と、その数を増やす事に、外に対してはダム対策条例化の阻止、対策費の監査請求、ダムの安全性の追求と、精力的に動いた。
 そして、昭和五十一年(1976)には、熊本地裁に「河川予定地指定無効確認」「ダム建設基本計画取り消し」の訴訟を起こした。ダム計画は五木を廃村に追い込み、生存権や財産権を保障している、憲法に対する明らかな違反である。と真向から国に斬り掛かったのである。
 ところが、国側は「訴訟の対象足り得ない」として、のらりくらりと体を躱(かわ)し、地裁は地裁で、実体審理に入らず和解を勧める。応じないと見るや、昭和五十五年、国の主張通り訴えを却下した。全く相手にされなかったのである。
「国に狙われた村なんて哀れなもんですよ。私等が幾ら反対しようが、そんなものは赤子の手を捻(ひね)る様なもんです」と、語る田山さんの口調に、国に対する烈しい怒りが迸(ほとばし)る。
 田山さん達反対派は、福岡高裁の控訴審に戦いの場を移した。飽くまで戦い抜く決意であった。
 ところが、国側はどんどん金にモノを言わせて、村を襲いつつあった。

 そして五十六年春。
 水没世帯の大半を占める条件派と国は、補償基準交渉を詰め、妥結した。 
 補償金を手にした人達が、堰(せき)を切った様に離村して行った。
 建設省の魔の手は、反対派にまで及んだ。
 どんどん離村して行くのを横目に見乍ら、動揺している反対派の済(な)し崩(くず)しに掛かったのである。
 交渉で急に大人しくなったのが居るので、問い詰めて見ると、矢張り建設省の人間に酒を飲まされていた。
 集会に出て来ないので訪ねて行ったら、家が藻抜(もぬけ)の殻(から)になっていた。と、いう事態が頻繁に起こり出した……。
         つづく。

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