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2009年12月 6日 (日)

五木の子守唄

――沈没阻止に人生を賭けた人――

16. 川辺川の氾濫は天罰である
 それは他でもない、あの“五木の子守唄”である。村の人達も、五木の子守唄が有名になった事は風の便りに知っていたが、実感を持っている人は居なかった。田山さんは、それを肌で知っている。
 五木村は、村の人達の想像を絶する程、有名になっているのである。唯、その恩恵を蒙(こうむ)っていない丈である。
 田山さんは、レジャーブームが遣(や)って来れば、必ず五木村は観光立村として栄えると、信じて疑わなかった。
「だって、東さん。此の村は何の宣伝も要らんですよ。あんなに人々に歌われ、慕われているんですよ。こんな、勿体ない程の利点を活かさない法は無いですよ。それが幾ら説明しても、誰も分かって呉れなかった……。私の旅館丈、設備を整えても駄目ですからね。村を挙げて受け容れ体制を作らなきゃ。
 林業が駄目なら、観光しか生きる道がないという事が解って呉れたのは、つい最近ですよ。今ですよ。今、やっと真面目に考える人が出始めた処です。遅いですね。村が沈もうって時じゃ、遅過ぎる」
 田山さんが早過ぎて、村の人達が遅過ぎた。此処に田山さんの悲劇が有った。田山さんの悲劇は未だ未だ続く。大きな波瀾が、ぱっくりと口を開け、待ち受けているのである。
 
 昭和三十八年~四十年、連続三年の水害に見舞われた。
「それはそれは、凄い大洪水でした。此の家も水に浸(つ)かったが、流されずに済んだ丈でも見(め)っけもんでした」沢という沢に在った炭焼窯も、殆ど押し流されて了った。村の奥に住む人達は生活道路を絶たれ、復旧を待てず離村して行った。六千人以上だった人口も、一挙に四千人台に減って了った。
「これは天災じゃないですよ。天罰ですな、人災ですよ。川辺川を氾濫させたのは我々なんです。後の事を考えず、片っ端から伐った、戦後の乱伐が原因だったですよ。いやー、怖いもんですな――」
 眼を丸くして語る田山さんの口調から、当時の大水害の有様が窺(うかが)い知れる。        

               つづく。

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