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2009年12月 8日 (火)

五木の子守唄

――沈没阻止に人生を賭けた人――

18. 調査員が土足で踏み込んで来た
 早期着工(当初は昭和四十四年の予定であった)を目差して急(せ)かす建設省を焦らし、村は時間を費(か)けて条件を練り、基本要求を五十五項目に纏(まと)めて提示し、代替地、水没地、付け替え道路の測量を認め、更に一筆(個人所有地)調査にもOKを出した。
 村と建設省の間で協定書が作成された。それに依ると、調査に入る一週間前に、所有者に文書で通知する事になっていた。
「ところが、連中はいきなり私の家に遣って来て、挨拶もなく測量を始めたんです。私はかんかんに怒って、その場で追い返してやりました」
 当時の怒りを思い出したのか、顔を真っ赤にする田山さん。
「明らかな協定違反ですよ。調査員に協定書を出せと迫りました。そうしたら、何と! あの項目が無くなってるじゃないですか。その代わりに、一週間前に口頭で村長に通知するとなってたんですよ。手続きを簡単にして、早くダム建設を着工しようと村民の知らぬ中に書き換えとったんです。これは詐欺行為です。協定書偽造です、許せませんよ!」
 益々興奮して、まるで今起こっている事件の様に「真っ赤な偽物だ」と真っ赤になって怒っている。

 田山さんは調査員を追い返した後、近所に連絡を取った。そうすると、二十戸程から怒りと不安が返って来た。
 土足で踏み込んで来る国家権力の傲慢(ごうまん)さに、怒り心頭の田山さん達は、調査を断固拒否する事を申し合わせた。

 斯くして、闘争の第一歩の火蓋(ひぶた)が切られた。昭和四十七年の春先の事である。此の年は円切り上げショック、沖縄返還、冬季札幌五輪、連合赤軍事件と、日本全体が慌(あわ)ただしい年でもあった。
 
 田山さん達の五木村も例外ではない。此の侭では村は滅びて了う。
 村の事は何も考えて呉れない。ダム丈が目的の国との、長い長い、苦しい苦しい戦争が幕を開けた――。
                      つづく。

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