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2009年12月10日 (木)

五木の子守唄

――沈没阻止に人生を賭けた人――

20. 私は故郷を愛していた
 水没者地権者協議会(略して地権協)が発足した。七十世帯。水没総世帯から見れば、二割にも達していなかったが、水没地や代替予定地の要所を占めたので、国側にとっては此の反対派は、容易ならぬ存在になった。
 地権協は、建設省の潰(つぶ)し工作の他に、村の大勢である条件派とも闘かう羽目に陥(おちい)った。
「多勢に無勢ですな、苦しかったです。まるで非国民扱いですよ。ダムの話さえ無けりゃ、貧しくとも平和な、団結のある素晴らしい村だったんです。なんで闘わなきゃならんのですかねぇ……。
 何度か挫(くじ)けそうになりました。そんな時に室原先生の事を思い出しては、又奮起するんです。自分の為にやるんじゃない。これは五木村丈の問題じゃない。
 ダム建設に拠(よ)る自然破壊とその害が、どんなに恐ろしいものかという事を、世間に知って貰わなくちゃならん。その為には、最後の一人になっても闘い抜く……そう決意したものです」
 森林を乱伐して受けた当然の報いを、ダム建設に当て嵌(は)めたり、ダム建設そのものが村を廃墟化する事を、田山さん達は必死になって説いた。そして、何としてもダム計画を阻止する為には、固い団結と不屈の精神が必要であると、仲間と共に誓い合った。
 建設省の人間に誘われても絶対に酒を飲まない。交渉は絶対に一人でしない、と決めた。
 敵はどんな手段を使って来るか、計り知れない。絶対に敗けられない戦いである。罠に嵌まらない為には、単独行動をとらない事である。
 毎日毎日が闘争の明け暮れとなった。田山さんは、生甲斐にも似た満足感を覚えていた。田舎を捨て、単身上京。東京で身を立てようとしていた自分が、今や故郷を守ろうと奮戦しているのである。
「私は故郷を愛していた。誰よりも愛していたんだ」そう思うと、自分が愛おしく、無上に喜びを感ずるのであった。
 故郷の景観を護り、観光立村にする迄頑張らねばならない。
 それ迄は、何が何でも死ぬ訳にはいかない。それ迄は生かして欲しいと、神に祈る田山さんであった……。  
                 つづく。

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