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2009年12月15日 (火)

それは子守娘達の魂の叫び……

25. それは童歌(わらべうた)であった
 昭和二十五年(1950)頃から映画やラジオの媒体を得て、一躍、有名になった五木の子守唄。
 此の民謡の持つ魅力は、一体、何なのであろうか。そして、どういう経過を経て此の民謡が生まれたのであろうか。私の聞いた限りの事を、此処に記す。

 落人伝説の事は前にも記したが、球磨の山奥・五木に辿り着いた武者達は、戦いに疲れ、武士を捨て、山中にひっそりと棲(す)む事にした。
 そして、山村の生活に慣れてくると、村を三十三区画にし、それぞれが地頭(じとう)となって部落を治めた。此の三十三人の地頭は「旦那」と称ばれ、これに対して、一般の村人達は「名子(なご)」と称ばれた。
 江戸時代は人吉を中心とする相良藩に属したが、五木は近在の中でも一番の貧乏村であった。中でも、名子と称ばれる百姓達は、旦那の土地を借りて田畑を耕(たがや)し、収穫の殆どを旦那家に納めるので、その生活は惨めなものであった。殆どが山林の山奥に在って、楽しむ事とて何もない上に、貧に窮していたのである。貧乏人の子沢山で、子供丈はどんどん生まれる。当然、産めば産む程生活が苦しくなる。口減らしに年端(としは)も行かぬ子供まで、年季奉公に出さねばならなかった。
 五木の子守唄は、旦那衆の家に子守奉公に出された、名子の娘(子守)の唄である。 
 判然(はっきり)とした作詞者・作曲者は存在しない。それは、子守娘達の口から迸(ほとばし)り出た、魂の叫びであったのだ。
 封建制下の、山奥に住む水呑み百姓の、幼(おさな)き七つ八つの娘の、童歌であったのである。
  
   ♪ おどま 親なし
     七つん歳で
     ひとの守り子で 苦労する ♪

 七才といえば、未だ未だ親に甘えていたい時である。自分の運命と、背負った赤ん坊の違いは一体何なのか、と、疑問を持った事だろう。
 “おどま親なし”とは、本当に親の居ない孤児(みなしご)なのか、それとも、幼い自分を奉公に出した親なぞ、居ても親ではない。親なんて居ないのと同じだ、と怨んだ事なのか……       つづく。

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