« 肝っ玉姐さんの湯の町騒動記 14 | トップページ | 肝っ玉姐さんの湯の町騒動記 16 »

2010年2月15日 (月)

肝っ玉姐さんの湯の町騒動記 15

15. その魅力はどのようにして…

“あじさい”はスナックという枠の中で、地元草津に貢献している。地元の人達のコミュニケーションの場として、サロンの役目を果たしている。“あじさい”は草津の町の縮図である。“あじさい”で酒を飲んでいる丈で、草津の町が理解出来る。
 
 千春ママさんは人を楽しくさせて呉れる。人を嬉しくさせて呉れる。千春ママさんは、人と人を結び付ける天才である。粋で清々しく、スカッとしていて、向日葵の様に暖かく、紫陽花(あじさい)の様に鮮やかなその魅力は、どのようにして培われたのであろうか……
 長年、草津を訪れる中で私が知り得た、千春ママの人柄を此処に記して置こう。
 千春は、昭和二十三年(1948)、群馬県の、此の草津からそう遠くない或る村で、農家の子として生まれる。七人兄妹で、千春は五番目。
 父母は戦時中、農業開拓団で満州に渡っていた。羽振りが良かった。姉の一人が、生後九ヵ月で病死した。
 日本が敗戦。父母は三人の子供を引き連れ、命からがら帰国。焦土の日本には何も無い。父は山の開墾(かいこん)に、母と幼き子等は家畜の世話と、自給自足の生活が始まった。
 そんな中で生まれた千春は、他の兄弟と同じく自然児であった。遊びといえば、山野を駆け回り、猿の様に木に登り、素っ裸で川に飛び込み、まるで腕白(わんぱく)な男の子と変わりはなかった。木切れ、小石、木の葉、草、花、農機具、あらゆる物が遊び道具であった。
 兄妹六人は仲が良かった。今もその団結は固い。兄妹は皆、嘘を吐(つ)かなかった。何でも話し合った。父母の手伝いを良くした。毎日分担を決めて良く働いた。父の手伝いで山に登るもの、母の手伝いで田に入るもの、家畜の世話をするもの、食事の仕度をするものと、チームワークは最高であった。貧乏であったが、皆幸福であった。
                          つづく。

|

« 肝っ玉姐さんの湯の町騒動記 14 | トップページ | 肝っ玉姐さんの湯の町騒動記 16 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 肝っ玉姐さんの湯の町騒動記 14 | トップページ | 肝っ玉姐さんの湯の町騒動記 16 »