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2011年3月 3日 (木)

隆明の時事考現 14

14. 災害は一瞬にして多くの生命を……

 ニュージーランド地震発生から8日が経ち、犠牲者は死者159、不明者を合わせ240人を超えるという。倒壊したビルからの救出は困難を極め、生存者の可能性は0に近い。
 被災者は前途洋々の若者達が多い為、御両親の心境は如何ばかりか…痛々しく、やり切れない。私の息子だったら…飛んで行って我が手で瓦礫を掻き分けてでも我が子を救い出したいと思うだろう。屹度親御さん達もそうだろう。
 救出された人達も帰国を始めたが、その表情は一様に暗い。
「助ってしまった……未だ瓦礫の中に埋まっている人達の生存、生還を祈るしかない」と後めたい心境を語る言葉が、余計身に詰まされる。奇跡を祈るしかないのか……。
 それにしても世界のあちこちで災害が多過ぎる。豪雪による被害者も沢山出た。1月26日の新燃岳の噴火も断続的に続き、未だ止んだ訳ではない。昨今の雨が灰と土石を伴って、町や村を押し潰すかも知れない。私は偶然であるが、恒例の会合で宮崎に着いたその日、噴火と灰に遭遇した。会合に向かう車に灰が降って来る。水を噴出してワイパーを掛け乍ら進む車の中で、否が応でも20年前の大惨事が甦る。

 1991年、6月3日。前年の11月に噴き出した長崎雲仙普賢岳が、突然大噴火を起こし火砕流となって、もの凄い勢いで人を呑み込み、麓の町や村を襲ったのである。
 水の無い水無川になだれ込んだ火砕流は、土石も巻き込んで、一気に有明海にまで達した。1メートル、2メートルもある大石が、まるで軽石の様に、薙ぎ倒された大木と共に、家屋や橋を火砕流に乗って潰していく様は、此の世のものとは思えない。地獄である。

 大火砕流は、あっという間に43人の命を奪った。時速200Kともいう勢いは、逃げる人々を一瞬にして呑み込んだのである。噴煙を取材に来ていたTVや新聞の記者、カメラマン。地元の消防団士。地震研究家や外国の地質学者夫妻も犠牲になった。危険性を調べに来て、自らの生命を以て、その怖ろしさを証明する事に…
 まるで昨日の事の様に想い出される。私と私の仲間は、その復旧と支援の為に10年という月日を捧げた。今の、今後の支援団体の役に立つ様にその一つ一つを振り返って見よう。  

                                                  つづく。

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