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2011年3月11日 (金)

隆明の時事考現 15

15. 私達に何が出来るか
 
 近年、大した天災もなく平和な日本に、突如の普賢岳噴火は正に火の噴く大騒ぎとなった。連日の報道は噴火状況を詳細(つぶさ)に伝えた。
 絶え間なく噴き上げる煙と、轟音を上げながら麓(ふもと)を襲う火砕流は、一向に衰(おとろ)えを見せない。地元民の恐怖と不安は募るばかりである。  

 そんな中、当時の島原市長鐘ヶ江管一さん に励ましの手紙を書き、現況を尋(たず)ねた。眠る時間もない多忙な中、丁寧な返事を呉れた。
 体育館に犇(ひし)めき合って避難している被災者の困窮(こんきゅう)、仮設住宅の設置を急がれる焦り、火砕流発生の度に敷かれる警戒態勢と監視、頻繁に行わ1751_2れる対策会議等、人々の動きや市長の心情が痛い程に伝わって来る。
 度々、TVに映し出される市長の顔は、日を追う毎に険しくなって行ったが、その険しさが精悍で頼もしくも映った。疲労憔悴で倒れるようじゃ市長は務まらない。困惑や混乱で落ち込んでる暇は無い。噴火終息までは剃らぬと決めた髭は、日に日に伸びて、髭の中に顔が有るという感じで、その眼だけが奥の方で光っている。その鬼気迫る表情は「普賢岳と一騎打ちをして玉砕してやる」と言っている様である。
 救済、支援の行動を起こさねばならない。凝っとしてはいられない。居ても立ってもいられない衝動が、日に日に増して来る。何かをしなければならない。私に何が出来るか!!

 災害以来、蜂の巣を引っ繰り返した様な騒動の中、全国から義援金や衣服、米や日用雑貨が続々と送られて、その整理や分配も大変な中、ボランティアの人や見舞いに訪れる人への応対、マスコミ陣への受け応えと、混乱するばかりの島原へ行って、私は、私達は何が出来るかを模索していた……。  

                                                      つづく。
 

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