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2011年7月29日 (金)

隆明の時事考現 31

31.失(な)くした分だけ不幸に

 人の多くは物を欲しがり、それが手に入れば嬉しくなる。幸福を感じる。そうするともっと欲しくなり、それが叶えば嬉しさが増し、幸福感も大きくなる。そうすると、もっともっと欲しくなる。それが物理的な成功であり、幸福であろう。つまり、物の多さ大きさが幸福の度合いをも示している。と信じ、思い込んでいる人が非常に多い。圧倒的に多い。
 貧乏な境遇に生まれ、飢え、困窮の中で育った人は、その中から脱け出す為に一生懸命努力し、やがて物を得るようになる。嬉しくなる。幸福になる。
 が、其処で止まれば良いが、その欲が益々募り、もっともっと、と暴走し出すと何(いず)れ障害にぶつかる事になる。障害が待ち受けているのだ。まして有頂天になっている人には必ずやって来る。奢(おごれ)る者久しからずである。
 確かに物の多さは、大きさは人の心を豊かにする。有って邪魔になる物ではない。有れば心に余裕が出来る。然し、過ぎたるは及ばざるが如し。
 有り過ぎれば、その多さにその大きさに、その重さに押し潰される。あまり貧乏が長いと「押し潰されても良いから、一度でも良いから裕福を味わい度い」と願う人もいる。だがそれが叶うと、二度と貧乏に戻りたくない、裕福にしがみつく。
 そして障害が来ると地獄に堕ちる。生きて行けなくなる。始めから、ずーっと貧乏であれば、地獄は来ない。生きて行ける物が少し有れば、それで満足していればそれで幸福である。地獄はない。無縁である。

 人は物を失くすと、不幸になる。失くした分だけ不幸になる。コツコツと努力して、やっと建てた家が一瞬にして消えたら、跡形もなく流失したら、どうだろう。誰が冷静でいられるだろう。終の栖と建てた立派な家を一瞬にして無くしたら…どんなにショックだろう。計り知れない。
 物は失くせば失くす程不幸も大きいが、人を亡くすのは物の比ではない。
 物は失くしても又得る事が出来る。失くす以前程求めなければ、必ず物は得られる。然し……
 人は失くしたら――家族が亡くなったら、友が亡くなったら……
 人は何時災害に遭い、何時死んでも不思議ではない。
 だから物理ばかり追い掛けないで、大事な大事な人を大切にしなければならないのだ。そこにホントの愛が有る、幸福が在る。  

                                                         つづく。

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