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2011年8月10日 (水)

隆明の時事考現 32

32.核廃絶の実行へ

 全国的に猛暑の中、午前11時。66回目の慰霊と平和祈念の黙祷。
 毎年此の日は悲しみを新たにするが、今日の被害者代表の言葉は淡々とした口調の中に、淡々であるが故に拝聴している者の胸を打つ。
 83才のその人は、一瞬にして家族の殆どを亡くし、66年経った今も時は流れていない。
 新しいモノへの探究心は時として最悪なモノをも作り出して了う。造ってはならないモノを創って了う。良識ある者でも凶器を持てば、それを使用したくなる誘惑にかられる。況(ま)してや狂気にそれを使わせれば、結果は明白。怖ろしい地獄絵図、大惨事が起きるのは間違いない。それを知っていて使用したる者、又容認したる者は悪魔である。それを作りたる者は、もっと悪い。
 人間は反省の元、凶器を、そのエネルギーを有益に利用しようとした。人間の生活を豊かにする為に使用した。その怖ろしいエネルギーに真の安全等ある訳がない。必ず、その怖ろしい牙を剥(む)き出す時がやって来る。私も含め、色んな人がずーっとその事を警鐘して来たが、愚かなる指導者達は欲ボケな企業者達は、人命よりも利益優先、悲劇が現実になるまで止(や)めようとはしない。
 そして、今放射線汚染は日本全土を覆い、世界をも襲おうとしている。

 被害者代表、そして市長、知事の挨拶は(総理の言は言にあらず、問題外)、例年にも増して重く我々に伸(の)し掛かる。核廃絶の訴えは毎年であるが、夢のように儚く聞こえたものである。
 だが、今年は福島の放射線洩れによって、全国民が被曝するやも知れぬという状況にあって、「核廃絶」の言葉は重く伸し掛かり、「実現」の二文字が決意となって、我々を実行の道へと導いて呉れた。

 静かで、怒りや悲しみを抑え込んだ、淡々とした諸氏の挨拶……それは、これまでの記念日の集大成である。
 来年の記念日は悲痛な叫びではなく、目に見えて平和になっていく日本にあって、御霊(みたま)に嬉しい報告の挨拶と、なるように――祈。

                                                  つづく。

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