« 2011年10月11日 | トップページ | 2011年11月4日 »

2011年11月 1日 (火)

東隆明のキーワード2

2. 奇跡は起きるもの

 人は、一しか努力しないのに十、百と成果が上がれば「ラッキー」と喜ぶ。それが千、万となると「奇跡だ!」と狂喜する。
 が、百努力したのに五十の成果しか上がらないと、その五十が不満である。二十、十だとアンラッキー、不幸である。〇だと「最悪だ、絶望だ」と嘆く。そして、神も仏も無いと、神仏を罵り、世の中を恨む。世界的大不況の現状では無理もない、無理もない事である。
 が、こんな時にこそ、こんな時だからこそ、人間は真価を問われる。真価を試される。こんな時にこそ真価を発揮出来るチャンスでもあるんだな。
 逆境を踏台にして、不幸をバネにして――それをエネルギーにして、飛躍する事が出来る。人はそれを「奇跡」と云う。

 何もしないのに奇跡は起きない。一滴のガソリンもない車は動かない。走らない。入れたら入れた分だけ車は動く。

 人の馬力(エネルギー)は生命力だ。
 生命力は「気」である。
 気が無くなれば人は力尽きる。そして、それは「死」である。肉体は生きていても、「気」が失くなれば、生きていても死んでいる。生き乍ら死体である。

 元来、奇跡というものは無い。そもそも不幸というものも無い。

 奇跡も不幸も積み重ねの結果で、一気に噴き出して来る正と負のエネルギーである。
 人は、その積み重ねの預金(徳)が多ければ大きい程、いざという時に一気にその成果を顕(あらわ)す。人はそれを「奇跡」と云う。
 積み重ねの負(罪)が多ければ大きい程、遂には爆発し、破滅する。人はそれを「不幸」と云う。
 
 奇跡の人となれ、徳を積もう、奇跡は起きるもの。

                            つづく。

| | コメント (0)

« 2011年10月11日 | トップページ | 2011年11月4日 »