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2011年11月 4日 (金)

東隆明のキーワード 3

3.手当は百薬の長1.

 俺らは幼少のみぎり、よく風邪をひいたそうな。戦後の焦土の中、日本全土貧に窮していたが、中でも我が家は究極の、最低の最悪のどん底生活であった。
 一家六人の生活の為に、少しでも多くの収入をと、母は大阪に住込み芸者で出稼ぎに行っていた。
 俺らは祖母に育てられたが、その祖母は俺らが五才の時、栄養失調で死んだ。
 母親からの送金は祖父の飲む・打つ・買うに化け、家族の飢えの足しにはならなかった。娘を食い物にし、家族を見殺しにしても平気な極悪非道なケダモノである。勿論、ロクな死に方をしなかったのは当然の事である。
 祖母は死ぬ迄、片時も俺らを放さず、僅かな食料も俺らの口に入れ、自分は水ばかり飲んでいたそうである。初孫で最後の孫となる俺らを、眼の中に入れても痛くないと、可愛いがって呉れたそうな。

 旨いものも薬も買えない家庭である。
 風邪をひいている俺らの鼻水を、祖母は自分の口で吸い、呑み込んで呉れたと云う。そして、俺らの額と心臓に手を当て、
「熱よ引け」「治れ、治れ」と、一生懸命祈って呉れたそうな。
 そうすると、皆が不思議がる程、熱が下がりだし、俺らに元気が戻って来たという。
 祖母の手は「神様の手」と称ばれる様になった。

 所が、此の神様の手の効能は、他の人には通じなかったらしい。噂を聞いた近所の人が頼みに来ても、祖母は手を当てなかった。我が娘、息子にも当てなかった。孫の俺らにしか手当が効かない事を祖母は悟っていたらしい。
「この子は神の子だ、この子は絶対死なせない、この子は私が守る」と、我が身を削り、俺らの手当に子育てにと身命を懸け……死んで逝った。
 祖母は俺らの身代りになったのである。
                           つづく。 

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