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2011年12月 8日 (木)

東隆明のキーワード 7

7.復興サロンが……

 島原復興の宣言が出来たのは、大火砕流から丸十年が経過した2001年6月3日の事である。
 俺ら達の「自然会」は、その日まで色んな形で地元に密着し、翌6月4日には撤退した。長い年月であった。地元の人より地元に詳しい、と地元の人に言われる位、地元に馴染んでいたので、別れは辛かった。
 その時の経験、体験が次々の災害のノウハウとなって役立っている。
 中でも「復興ビル」の役割は大きい。家や道路や橋は時間と共に回復し、復興を遂げる、災害前より立派に再生する事が出来る。
 が、人は、人の心は其処に住む人はそういう訳には行かない。
 人の心が復興して、前よりまして立派に成長し、生き活きと生活出来なければ真の復興とは云えない。災転じて福と成す、前にも増して大きく自愛に満ちた人になって、初めて自立復興、応援して呉れた人達への恩返しとなる。
 東北大震災の只中にあって、寒さの中沢山の人が現地に赴き、親身になって被災者の方達の世話や励ましの努力をして呉れている。
 ライフラインが逼迫していた災害直後は、その世話や手伝いが非常に有難いものである。被災者にとっては神様にも見える。何の関係も何の繋がりもない見ず知らず人達が全国各地から駆け付けて呉れる。骨身を惜しまぬその献身に、被災者は涙して喜んだ。
 が此処からである。ライフラインが落ち着き、仮設住宅や受け入れ先に収まった被災者達がホッとした矢先に襲って来るものは……
 急襲して来る悲しみ、亡くした家族への想い、言い知れぬ淋しさ…虚無感と喪失感、明日への不安、目的も希望も持てない、自棄の状態……
 こんな状況でボランティアはどんな手助けが出来るというのか。
 震災から9ヵ月経った現在、大変困難な第二段階に入る。 
 此処からボランティアも脱落して行く。どんどん居なくなる。

「復興サロン」が必要となる。復興サロンとは?
                           つづく。 

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