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2012年2月21日 (火)

もう一つの戦争 番外1

1.近衞通隆逝く

 2月11日、叔父逝去。享年89才。自宅荻外荘の自室ベッドで少し呼吸が乱れ、妻節子に胸を撫でて貰い、呼吸が楽になるも身体が冷たくなり始め救急車を呼ぶ。
 病院で蘇生マッサージをするも、暫しの後、死亡確認。静かに眠るが如く、大往生である。死因、心不全。見事な引き際である。

 近衞家は藤原姓の時代から太平洋戦争に突入するまで、その時代時代の節目に大きな役割と影響を及ぼしている。
 そして非業の死を遂げる家系でもある。
 五摂家(ごせっけ)筆頭の近衞家だが、近年の悲劇は著しい。

 近衞文麿(祖父)。太平洋戦争直前までの首相。戦争反対と阻止の努力も空しく、陸軍の暴走は国を破滅へと突き進む。
 近衞は内閣を解散する。その二ヵ月後――
 昭和16年12月8日、真珠湾攻撃を以て開戦となり、日本は破滅へと向かう。
 昭和20年8月15日。3年8ヶ月の長い負け戦は、天皇の玉音に依って終了した。量り知れない多くの犠牲と悲劇の礎の元に終止符が打たれた。
 東京裁判直前、文麿は第二次大戦時の中国侵攻等の責任と天皇を護る為に、荻外荘の自宅にて服毒自殺。
 裁判にて、弁解や命乞いを選ばず、黙して静かに逝った。孤高な宰相(さいしょう)の誇りに満ちた最期であった。
 
 死の前夜。
 文麿は次男通隆を自室に呼び、酒を汲み交わした。
 静かで淡々とした口調の文麿は、ニッコリとして言った。
             
                                 つづく。
 
 

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