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2012年5月22日 (火)

もう一つの戦争 番外9

9. ボチさんへの通信 5

 昭和31年、小学5年の秋。
 俺らの作文がNHKのコンクールに入賞し、俺らの朗読がラジオで全国に流れた日、学校の全教室にも俺らの声が響いた。
 一躍ヒーロー、有名になって有頂天で我が家に帰って来た俺らの目に、物干し台の上で蹲(うずくま)っている母の背中が映った。肩が小刻みに震えている。
「ハハーン。お母ん、ラジオ聴いたな、嬉しくて泣いてるんだ、うん」と勝手に悦に入ってると、気配に気付いて振り返る母、様子が可笑しい。
 夕陽を背にした顔は暗くて良く分からないが、とても嬉しそうには見えない。
「こっちへおいで」 手にした新聞を俺らに見せる。
「この人がお前のお父さんだよ」
 大きな記事が、その人の死亡を報らせている。何の事だか分からない、俺らの父親は死んだと聞いている……
 それもその筈、母もそう思い込んでいたのだ。終戦から3年、4年、5年と経ったのに、近衞文隆の消息は一向に不明だったのです。
 ロシアに囚われ殺されたか、シベリアに連れて行かれ収容生活を送っているのか……皆目見当もつかない侭、いつしか11年の月日が流れ――。
 生きる為、家族6人が生き延びる為に、美代子は必死に働き、近衞文隆は死んだものと、現実の中に懸命に生きて来たのだ。
 それが突然の新聞記事。近衞は生きていた。ずーっと生きていた。
 11年もの間、獄中生活に耐え、ボチさんは逞しく生きていたんですね。
 帰還の最終便前夜、日本のプリンス近衞病死の報……
「何て不運な人なんだろうね」と、母が呟いた。

 母がボチさんの事を喋ったのは
「この人がお前のお父さんだよ」
「何て不運な人なんだろうね」と、たった二言だけ。

 それ以来、俺らが20才の上京前日まで、近衞の事は此の母子の会話には、一言も上らなかった。 
                         つづく。

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