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2012年6月11日 (月)

もう一つの戦争 番外10

10.ボチさんへの通信 6

 ボチさん。貴方の41年は何と浮き沈みの烈しい人生だった事か……。
 生まれてから30年は人も羨む華やかで、豪放、且つ大らかな、規格外れのプリンス時代。そして突然やって来た囚人としての投獄時代。
 殺害される迄の11年間、シベリアの獄中で、あの極寒の丘の檻の窓から、その空が故国に繋がるその空に、帰れる日を願い、どんなに涙した事か……。

 北へ北へと道を造っていた丈の、近衞中隊。銃の代わりにスコップやシャベルで働いていた、ボチさんに何の罰が与えられると云うんでしょうね。誰一人として殺してもいないのに、誰にも銃を向けていないのに、何故戦犯なのでしょうね。

 貴方の父近衞文麿も、貴族として首相として、国を護る為に、戦争を避けようと必死に努力し、秘書であった貴方を使って蒋介石に、親書を託したのですね。
 闇に乗じて平和の使者が蒋介石に辿り着く寸前、それを嗅ぎ付けた陸軍に捕まり、敢え無く、最後の望みを絶たれて了う。
 ボチさんが密書を無事に届けていれば、戦争は回避出来た。
 陸軍は何としても戦争を大きくしたかったのだ。

 望みを絶たれた文麿は、首相を降り、日本は戦争へと、世界大戦へと突入して行く。
 ボチさんは、罰として貴族特権を奪われ、一兵卒として満州へ飛ばされて了う。
 親子二代、平和の為に働き、戦争の為に、戦争の犠牲となる。
 親は天皇を護る為に自死、子はロシアの陰謀によって毒死……。
 この毒殺の事実は長い間明らかにされなかった。ずーっと獄中での病死とされていたのだ。
 捕虜返還の最後の便……その便に近衞文隆は乗っていなかった。
 その前日、ボチさんは遠い異国の地で永遠の眠りについた――
                        つづく。

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