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2012年10月 5日 (金)

隆明の“つれづれに”2

2.“さよなら”からが始まりだ

 9月28日は俺らの68回目の誕生日だった。
 随分長生きしたものだ。振り返って見るに、想い出が多過ぎる事に気付く。
 平々凡々という代物には決して価しない、良きも悪しきも膨大である。
 波瀾万丈な母の人生と、息子の生き方は、これから筆を執るライフワークとなる、『もう一つの戦争』には欠かせない、否、中心となる素材でもある。
 思い出というものは、良き事楽しい事は仲々直ぐには浮かんで来ないものなのか。だが辛い事、苦しかった事は即、走馬灯の様に脳裡を駆け巡る。
 胸が締め付けられ、涙が込み上げて来る。

 母は生前、俺らが辛かった想い出を語ると――
「あんたは辛かった事ばっかり私に言う。良かった、嬉しかった事も有った筈やのに……」と淋しそうに言った。それ以来、辛い思い出は母に言わない事にした。
 人は、家族や親しい人が亡くなると、良い事ばかりを思い出すらしい。
 だが、俺らは、7月に逝った母との想い出に、楽しい嬉しい映像は浮かんで来ない。母に申し訳ないが、何故か一向に思い出せない。
 これは親不幸な事である。
 辛い苦しかった事は放っといても浮かんで来るので、これからの残りの人生を、記憶を辿り乍ら、一つ一つ嬉しかった事を掘り起こし、母への感謝を深めて行かねばならない。それが、壮絶な犠牲と忍耐に生き、戦中戦後を駆け抜けた、一人の女の“もう一つ”の戦争に対する、畏敬と感謝の念を以っての義務である。

 母は死に際、ニコニコ笑っている俺らに「ありがとう」と笑って――逝った。
 俺らに、送る言葉は出なかった。浮かばなかった。
 俺らの遺作となる『もう一つの戦争』の中で、その答えが出て来ると思う。うん。屹度出て来るだろう。
 花に嵐の例えもあるが
 俺らのは“さよなら”からが始まりだ。
                      つづく。

 

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