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2012年11月22日 (木)

隆明の“つれづれに”5

5.戦争が復興に

 俺らの小五は大変意義深い年であった。昭和31年(1956)の事である。
 母との再会、同居に伴い世の中も「戦後は終わった」と云い出した。
 昭和25年、朝鮮戦争勃発。敗戦に打ち拉がれ、ボロボロになっていた日本、米国の占領下、無気力で惨めな、その日その日をやっとの思いで生きていた日本に、軍需生産の注文が入った。
 何と、戦争に敗け何もかも失くした日本が、戦争に依って救われたのだ。
 何という皮肉、他国の不幸が自国の幸福となる。一体戦争とは何なのだ。真から喜べるものではない。だが、日本は喜んだ。他国の不幸なんか知ったこっちゃない。
 軍需景気に乗った日本は、凄い勢いの経済復興に湧いた。
 そんな中、ぎこちなかった母と子も、段々しっくりとして来た。夕方になると、俺らの夕飯を卓袱台(ちゃぶだい)に揃え、「全部食べて良いよ」と云い、着物に着替え始める。
 「シュッ、シュッ」という着物や帯の音を聴き乍らの飯は仲々旨い。俺らは変な奴だったのかな?
 兎も角、母の昼と夜の代り目、変貌には眼を見張る。昼間の何処にでもいる下町長屋のオバハンが、色っぽい絶世の美女に見る見る変わって行くのだ。「この人誰?」という位、普段の母とは別人である。一体、どっちが本者だ? と子供心に思う。景気と共に芸者稼業が復活し、母も生き生きとしている。
 普通、「芸者の子」というと恥ずかしい丈ではなく、「恥」であり、世間からも蔑視されるのが当り前の時代である。が、俺らは全然恥ずかしくなく、恥とも思わなかった。寧ろ、誇りに思っていた位である。それは母の若々しさと、容姿にあった。
 三味線を片手に、スタスタと出掛けていく芸者を、飯を食い乍ら見送る俺ら。俺らは俺らの自慢であった――母親が。
 俺らも此の頃から派手好きの傾向が出始めていた。人を吃驚(びっくり)させたり、陽気に振舞って、友や大人を喜ばせる事に生き甲斐を感じ始めていたのである。そんな時、一大事件が起きた……
                     つづく

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