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2013年6月 1日 (土)

隆明の“つれづれに” 12

12.死亡記事は生存記事

 母はどうやら泣いている様だ。膝の上に新聞が……その新聞に涙を落とし乍ら、肩を震わせ何やら呟いている。
 母は小学校も通わせて貰えず、口減らしの為お金持の家の子守や雑用をして、僅かな給金も全部親に取られていた為、文盲であった。
 友達も出来ず、遊びも知らず、唯々親や弟妹の為に働いた少女であった。が、苦しいとか悲しい思いは一つもしなかった。苦しみ方も悲しみ方も知らなかったのである。
 一日中働き詰めで、他と比べる術も知らない少女は、裕福な家の小間使をし乍ら
「此の家はウチとは別の高い高い世界なのだ。お手伝いをさせて貰える丈で嬉しい」と、感謝感謝の日々であった。
 そして、11才の春。料亭に住込みの“おちょぼさん”として働く傍、芸伎見習いとして置屋に通い、唄、踊り、三味線を仕込んで貰う事になる。
 稽古は厳しく、お師匠さんに打たれた三味のバチの跡が、痣となって長く残った。

 母は俺らに気付き、新聞を寄こす。文盲の母が読める訳がない。俺らに何処かを読んで欲しいのかと、眼を泳がせていると、
「これがお前のお父さんや」と一点を指差す。
 恰幅の良い、大柄な、軍服姿の男の写真が載っている。
「え? お父さん?」母は黙って写真を見ている。
 この頃、俺らは国語が得意になっていて、独学で当用漢字をマスターしていた。一気に読み終えた俺らは、母親をまじまじと見た。死んだと聞かされていた。
「死んだとしか云えんかった。長い事行方不明やし、多分死んでると誰でも言うてたし、お母ちゃんもそう思てた」
 遠いシベリアの地で投獄されていた、貴族のプリンスが、終戦から11年経った今、帰国直前にして病死したとの記事である。
 死亡記事……この死亡記事は昨日迄生きていた生存記事か!!
               つづく。

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