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2013年7月 5日 (金)

隆明の“つれづれに”13

13.母子の変わり目

 昭和31年10月29日。日本の将来を担う筈であったプリンスは、シベリアの僻地で11年の獄中生活の末、その命を絶たれた。近衞文隆、享年41才。
 その時、息子隆明は小学6年。芸者若菜に孕ませた一人息子である。
 母親の生地和歌山で、俺らは初めて自分の身の上を知った。母親は此の日まで、密かに幽かに、僅かに希望を持ち続けていたが、プリンスの死亡記事と共に全てを忘れる事にしたそうである。
 が、俺らにとっては此の日から全てが始まり、全てが変わり出したのである。
 モノを見る目が変わった。人を見る見方が違って行くのが、自分でも分かる程、如実に感じていた。何かが確実に変化している。
 図書館で昭和史を読み、近衞家の歴史を識り、その血が自分の中に漲っているのを、徐々に実感し自覚して行く、落し子の俺らであった。おっと、俺らが生まれたのは文隆が結婚する前だったから、落し子とは云わないか。
 その母も目を見張る変わり目を見せた。見る見る行動が派手になり、まるで失くして来たものを取り返すかの様に、若返って行く。世の男も放っておく訳もなく、やがてイケメンの優男(やさおとこ)を家に連れ込み同棲を始める。
 当然、俺らも居場所が無くなり、中学一年の入学式の日から、アルバイトをし乍ら下宿生活となる。
 一人住まいとなった俺らは自由気侭(じゆうきまま)、青春謳歌時代は高校を卒業するまで続く。
 誰にも支配されない、誰にも遠慮なく過ごした此の時代、此の六年間に東 隆明の基礎が構築された様だ。その自由な、無謀とも云える発想、大胆な行動は周りの大人も仰天させ、敬遠する人も結構多かった。
「関わりになったらロクな事はない」と小心者達は近寄らなかった。
 小さい事に拘らず、地球感、世界観で喋る様になって行く。それは、正にボチさん(文隆)にそっくりだと云われる様になる。
 学校も気が向けば行くといった風で、停学退学問題も度々起こるが、一度も罰を受けた事がないのは何故だろう…
 扨、犠牲になって来た人生を取り戻そうと、30才になった許りの若きその母は、これから何う生きて行こうとしているのか――
               つづく。

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