2011年9月 7日 (水)

隆明の時事考現 33

33.どう頑張れば…

 間もなく東北大震災から半年になる。集団避難所から一時的住居に大半の人が移る事が出来た。やっと家族だけの部屋、生活空間が出来たのである。
 全国の受け入れ先に散って行った人達は、見知らぬ土地での生活に戸惑い乍ら、不安の日々を送っている。一体、何時になったら故郷に戻る事が出来るのか……
 二十年前の普賢岳災害は十年の才月を経て、完全復興宣言に至った。火砕流流域地帯は、噴火鎮静宣告が出来る迄の丸五年間、生家及びその一帯に立ち入る事も出来なかった。五年もの間、為す術もなかったのである。
 やっと自分の家や土地に戻れた人達は、その荒れた瓦礫を前に茫然と立ち尽くした。
 それから五年。復旧復興は目覚しい勢いで進み、大火砕流から十年、やっと元の生活に、否、災害前にも増して素晴らしい町造り、村造りに発展して行ったのである。人々は災害に依って、力強く逞しく再生したのである。

 東北災害では原発洩れを抱えた福島が、島原の様に復旧が遅れるだろう。
 放射線洩れが止まらない限り、住民は我が家に帰れない。故郷に帰れない。
 何時か帰れる日が来た時、又、新たな絶望感に見舞われる。
 荒れた土地と家、一体何処から手を着けたら良いのか……それでも、人はやがて復旧に向けて一歩一歩、歩み出す。どんなに荒れていても、矢張り生まれた土地、育った故郷が良いのだ。故郷を愛しているのだ。故郷が命なのである。

 災害に依って土地や家、家族をも失った人の嘆き、悲しみ、絶望感は――その当事者しか分からない。測り知れるものではない。
 
「頑張れ、頑張れ」の声援や応援も、悲嘆にくれる人達にとって、却って絶望感を増す事もある。

「何を、どう頑張れと言うのだ、妻と子供を返してくれ…」と、独りぼっちになった夫が呟いた。  

                                         つづく。

 

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2011年8月10日 (水)

隆明の時事考現 32

32.核廃絶の実行へ

 全国的に猛暑の中、午前11時。66回目の慰霊と平和祈念の黙祷。
 毎年此の日は悲しみを新たにするが、今日の被害者代表の言葉は淡々とした口調の中に、淡々であるが故に拝聴している者の胸を打つ。
 83才のその人は、一瞬にして家族の殆どを亡くし、66年経った今も時は流れていない。
 新しいモノへの探究心は時として最悪なモノをも作り出して了う。造ってはならないモノを創って了う。良識ある者でも凶器を持てば、それを使用したくなる誘惑にかられる。況(ま)してや狂気にそれを使わせれば、結果は明白。怖ろしい地獄絵図、大惨事が起きるのは間違いない。それを知っていて使用したる者、又容認したる者は悪魔である。それを作りたる者は、もっと悪い。
 人間は反省の元、凶器を、そのエネルギーを有益に利用しようとした。人間の生活を豊かにする為に使用した。その怖ろしいエネルギーに真の安全等ある訳がない。必ず、その怖ろしい牙を剥(む)き出す時がやって来る。私も含め、色んな人がずーっとその事を警鐘して来たが、愚かなる指導者達は欲ボケな企業者達は、人命よりも利益優先、悲劇が現実になるまで止(や)めようとはしない。
 そして、今放射線汚染は日本全土を覆い、世界をも襲おうとしている。

 被害者代表、そして市長、知事の挨拶は(総理の言は言にあらず、問題外)、例年にも増して重く我々に伸(の)し掛かる。核廃絶の訴えは毎年であるが、夢のように儚く聞こえたものである。
 だが、今年は福島の放射線洩れによって、全国民が被曝するやも知れぬという状況にあって、「核廃絶」の言葉は重く伸し掛かり、「実現」の二文字が決意となって、我々を実行の道へと導いて呉れた。

 静かで、怒りや悲しみを抑え込んだ、淡々とした諸氏の挨拶……それは、これまでの記念日の集大成である。
 来年の記念日は悲痛な叫びではなく、目に見えて平和になっていく日本にあって、御霊(みたま)に嬉しい報告の挨拶と、なるように――祈。

                                                  つづく。

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2011年7月29日 (金)

隆明の時事考現 31

31.失(な)くした分だけ不幸に

 人の多くは物を欲しがり、それが手に入れば嬉しくなる。幸福を感じる。そうするともっと欲しくなり、それが叶えば嬉しさが増し、幸福感も大きくなる。そうすると、もっともっと欲しくなる。それが物理的な成功であり、幸福であろう。つまり、物の多さ大きさが幸福の度合いをも示している。と信じ、思い込んでいる人が非常に多い。圧倒的に多い。
 貧乏な境遇に生まれ、飢え、困窮の中で育った人は、その中から脱け出す為に一生懸命努力し、やがて物を得るようになる。嬉しくなる。幸福になる。
 が、其処で止まれば良いが、その欲が益々募り、もっともっと、と暴走し出すと何(いず)れ障害にぶつかる事になる。障害が待ち受けているのだ。まして有頂天になっている人には必ずやって来る。奢(おごれ)る者久しからずである。
 確かに物の多さは、大きさは人の心を豊かにする。有って邪魔になる物ではない。有れば心に余裕が出来る。然し、過ぎたるは及ばざるが如し。
 有り過ぎれば、その多さにその大きさに、その重さに押し潰される。あまり貧乏が長いと「押し潰されても良いから、一度でも良いから裕福を味わい度い」と願う人もいる。だがそれが叶うと、二度と貧乏に戻りたくない、裕福にしがみつく。
 そして障害が来ると地獄に堕ちる。生きて行けなくなる。始めから、ずーっと貧乏であれば、地獄は来ない。生きて行ける物が少し有れば、それで満足していればそれで幸福である。地獄はない。無縁である。

 人は物を失くすと、不幸になる。失くした分だけ不幸になる。コツコツと努力して、やっと建てた家が一瞬にして消えたら、跡形もなく流失したら、どうだろう。誰が冷静でいられるだろう。終の栖と建てた立派な家を一瞬にして無くしたら…どんなにショックだろう。計り知れない。
 物は失くせば失くす程不幸も大きいが、人を亡くすのは物の比ではない。
 物は失くしても又得る事が出来る。失くす以前程求めなければ、必ず物は得られる。然し……
 人は失くしたら――家族が亡くなったら、友が亡くなったら……
 人は何時災害に遭い、何時死んでも不思議ではない。
 だから物理ばかり追い掛けないで、大事な大事な人を大切にしなければならないのだ。そこにホントの愛が有る、幸福が在る。  

                                                         つづく。

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2011年7月12日 (火)

隆明の時事考現 30

30. 11万人を救え

 7月11日午後2時46分。大震災から丸4ヵ月……黙祷。
 午前中に東北も梅雨が明け、今や茹(う)だる様な暑さに見舞われている。
 3月11日の突然の大地震と悪魔の様な大津波。辛(かろ)うじて避難所に逃れた人達はどんなだったか……
 恐怖に怯え、配給の一枚の毛布に包(くる)まっての飢えと寒さの日々……そして、今、梅雨が明け、猛暑が被災地を、避難所を襲う。この夏を被災地の人達は乗り切れるだろうか――。
 一刻も早く避難所から一人残らず避難しなければ、次次と多くの犠牲者が出る。全員即刻退去の措置を取らなければ、体力も気力も弱った人達は病死し、自殺者も増えるだろう。 
 今迄の何倍もの、超超特急の仮設住宅設置は勿論だが、兎に角、今日中にも全員退去し、緊急避難しなければならない。
 全国の自衛隊、警察の宿舎や施設、「かんぽ」や企業の保養施設、別荘、空家、マンションの空室等で未だ未だ提供出来る場所が有る。一時凌ぎでも何でも、即入居して貰うようにしなければ、悲劇は更に追い討ちを掛け、待っては呉れない。
 政局だの政策だの法律だのと、我が身の保全に躍起になって、言う事が毎日コロコロと変わる政治を頼っていては、今に取り返しのつかない事になる。否、既になっている。
 今、避難所として使用出来る場所があれば、その大小広狭に関わらず即入居して貰い、静養して貰わなければならない。今、一番大事な事は命を護る事だ。命を亡くしては義援金も意味がない。
 全国各地で熱中症で倒れる人が続出し、死亡者も増えている。況(いわ)んや、被災地避難所に居る人達は既に限界を超えている。
 今頃、復興計画や避難対策を、どうしようか等と議論や模索している政府は全く無能である。
 
 国民が挙(こぞ)って動けば、手を伸ばせば直に、今日に明日にでも救う事が出来る。助ける事が出来る。
 避難民、11万人を救え!!
                       つづく。

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2011年7月 1日 (金)

隆明の時事考現 29

29. 解体しなければ新しい出発は…

『ホント八百』 P49~抜粋4 1995(平成7年)

 一途に走って来た50年。サリン無差別殺人事件は、その50年の集大成の結果の一つでもある。今、皆が反省する時に来ている。今、反省して、原爆によってスタートした50年にサリン事件を以(もっ)て終わりを遂げなければならない。そして新しい時代に突入するのだ。
 それは解体という作業から始めなければならない。解体しなければ、新しい出発はない。未練たらしく、旧態依然と引き摺(ず)っていたら、益々腐って取り返しのつかない事になる。潔く捨てて、再出発しなければならない。心配しなくともホンモノは残る。
 ホンモノであれば、再成は早い。前より素晴らしいものになる。生れ変わるのだ。それがホントの改革である。
 継(つ)ぎ接(は)ぎの修繕は改革とは云わない。継ぎ接ぎをしていると、阪神大震災のように大きな犠牲を払う事になる。
 新しい家は壊れてはいない。木造の古い、継ぎ接ぎの修繕を繰り返した家屋は全滅しているのだ。これを機に、新しい、丈夫な家が建つ。素晴らしい神戸が再誕する。災害と多くの人の犠牲によって再誕する。口惜しい事である。
 今度の第三次大戦は、終わってから再誕という訳にはいかない。その犠牲は再生不能となる。それは誰でも予測出来る事である。
 どうしたらストップをかける事が出来るか。それは簡単である。簡単であるが故に難しい。先ず我々が、今の時点で、一大反省をする事である。国民総反省である。
 そして、今起きている天災・人災の犠牲を終局にして、自ら解体しなければならない。でなければ第三次大戦という、再起不能の大火傷(おおやけど)を味あわなければならない。もう、分からなければならない。今、分からなければ救われる道はない。
 このまま破滅に向かう事は、毒入りだと分かって餅を食うようなものだ。
 今、解体して心を新たにしなければ、破滅がやって来る。我々は自殺に向かって走っているようなものである。

 ※此の著から16年経った現在、どんどん私の怖れていた事が現実化している。天災人災が容赦なく地球を襲い、天の怒りを抑(おさ)える事が出来ない。今、被害を我が事として、身を粉にして働く人達が増えつつある。この輪が大きくなれば…もしかして     

                                                     つづく。

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2011年6月29日 (水)

隆明の時事考現 28

28. 明日は我が身である事を…

 ホント八百 P29~抜粋3-2

 天災と人災がドッキングしながら、世界は混沌とし、阿修羅(あしゅら)の地獄と化す。今こそ、人は皆、我が事のみを考えず、全てを人任せにせず、皆で手をつなぎ助け合わなければならない。
「我が事のみ」という小っぽけな事に懸命になっても、何の意味もない事を、近い将来思い知らされる事になる。ホント。
 
 阪神大震災は貧富の差を問わず、一瞬にしてあの大都会を裸にしてしまった。
 皆、同じ立場になった。立ち直るのも、皆で協力しなければならない事を、天は教えて呉れているのである。そして、国中の、世界中の、温かい声援と支援と協力があってこそ、その復興は迅速(じんそく)に、且(か)つ、確実に成されていくのである。

 私と私の仲間(コミュニティ倶楽部・自然会)は、普賢噴火の平成三年より島原に赴(おもむ)き、その復興のお手伝いを、今もしている。
 当初の何ヵ月かは、今の阪神大震災と同じで、全国から沢山の人が見舞いやボランティアで駆け付けてくれたが、それはそれ、出来る範囲という事で、今では私達以外は誰一人として残ってはいない。勿論、自立復興が一番大切な事であるが、それを支え励ます、全国の人の温かい「愛」が必要なのである。明日は我が身である事を忘れないで欲しい。
 災害の起きた時だけ熱心で、直ぐ忘れるのはいけない。「普賢」は終わったと、勝手に終わってはいけない。何も終わってはいない。それどころか、益々酷くなっているのである。
 完全復興するまで励まし、又、我が身として、尽力してこそ本当の愛と云えるのである。
 気紛れの愛ならしない方が良い。浅い愛なら初めからしない方が良い。しても良いが、「やった、やった」と自慢をするな。気分良くなるな。自分が思ってる程、役には立ってない。
              『ホント八百』は……つづく。

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2011年6月28日 (火)

隆明の時事考現 27

27. 破滅がやって来る

 3月11日の被災から100日が過ぎた。
 被災の実態をTV各局や様々な媒体が、克明に仔細に、国中に世界中に毎日報らせて呉れる。
 家族を津波に浚(さら)われ、未だに行方が知れず、瓦礫の前で途方に暮れる人、避難所で体の不自由さと、前の見えない不安に怯える人…の心情が伝わって来る中、復興に向けて立ち上がろうとする、様々な姿もTVに映し出される。
 自衛隊や全国からの派遣警官の、献身的な働き、愛情溢れる沢山のボランティアの活躍……。
 又、一方では瓦礫を漁(あさ)り、金品を盗んでいく輩、募金と偽り国民から詐取する、人間にあるまじき、獣も出没する。
 災害は、種々様々な人間を浮彫にする。
 災害は、被災者も支援者も、無関心な人の心をも露(あらわ)に具現する。それぞれの立場で、それぞれの思惑で、その正体が明らかになる。胡魔化(ごまか)す事の出来ない実体が現れる。
 16年前の私著が、正に今を語っている。

『ホント八百』 P29~抜粋3

 普賢岳災害は犠牲者のみならず、島原地方全体の機能を破壊し、今尚、住民は噴火の止まない麓(ふもと)で恐怖と困窮の極に立たされている。阪神大震災は、物心共に国家的規模で大打撃を蒙(こうむ)り、その対応にモタモタしてる最中の、追い討を掛けるようなサリンの無差別殺人……。戦後の政治、経済、宗教、教育、道徳の過ちのツケが、ドッと襲って来ているのである。そして、世界のあちこちで、狂気が凶器になって大混乱を起こしつつある。今や、世界の、地球の一大危機に突入しているのである。
 今こそ、人類全体が人間性を取り戻さねばならない時に来ている。
 で、なければ間違いなく破滅がやって来る。ホント。

                                           つづく。

                                                    

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2011年6月24日 (金)

隆明の時事考現 26

26. 自分の事だけ考えれば孤立する

『ホント八百』 P25~抜粋2

 無数の犠牲と、無数の死人を出して戦争は終結し、虚しさを知る。得るものが何もない事を知る。そして、その悲劇が喉元を過ぎると、又、闘争心が湧いて来る。
 一握りの悪魔が、喜々として様子を伺っている。何も起きなければ、自ら仕掛けてでも戦争を起こそうとする。世界戦争は、何時の世も、そんな悪魔によって容易に起こされる。たった二・三人の病人の陰謀によって、引き起こされるのである。重い病に罹(かか)った一握りの人間に、健康な国全体が牛耳られ、破壊される。この繰り返しの人間界に、今こそ、ストップをかけなければならない。今、かけなければ恐ろしい事になる。我々一人一人がストッパーにならなければ、間に合わない。行政に任せていては間に合わない。今度ばかりは後で信号機を付ける訳にはいかない。

 天災・人災を含め、世界は猛烈な勢いで破滅に向かって突き進んでいるのである。今や誰もが予感し、危機感を持っている筈であるが、「未だ先だろう」「ここは大丈夫だから」「私は大丈夫だろう」と、タカをくくっている諸君。「対岸の火事の積もりでいると、或る日、それも限りなく近い将来、今日、今かも知れない。明日かも知れない、貴方の身に降りかかるのである。
 
 昨今、終末論が囁かれているが、ノストラダムスでなくとも、誰でも予測のつく事である。全ては当然の結果で、不思議な事は何一つない。
 我を張り通せば、喧嘩になる。無理をして働けば、過労で倒れる。マイナーに生きれば病気になる。自分の事だけ考えれば孤立する。
 自然を破壊すれば、自然(天)の逆襲に遭う。逆も又、然り。

 此の本を著した1995年は1月に阪神大震災、3月に地下鉄サリン事件と天災と人災が相次ぎ、日本は大混乱。その4年前の普賢岳も復興どころか災害は続いており、相次ぐその後の災害は、現在の新燃岳、東北に到る迄、止どまる所を知らない。日本は……世界は……地球は……人間は……                      

                         つづく。

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2011年5月30日 (月)

隆明の時事考現 24

24. 成長と後退、本性が露(あらわ)に

「天災は忘れた頃に襲(や)って来る」と、的を射た名言があるが、正にその通りだった時代は、二十年前の普賢岳以前の事である。
 この二十年は忘れる暇もなく、後から後から覆(おお)い被(かぶ)さって、人災も加わり容赦なく襲って来る。次から次とエスカレートして襲って来る災害に、必死で対処している中、もっと大きな災害が襲って来る。
 天災は忘れる暇もなく襲って来て、眼の前の新しい災害に右往左往している中、前の、その前の災害も復興していないのに、忘れて了う。故に、どの災害も中途半端で、完全復興には恐ろしく時間が掛かる。
 支援する方も、新しい方新しい方へと関心が移り、前の、その前の支援は、気になりつつも離れていく事になる。
 だから、被災者も何時までも支援や応援に頼っていてはならない。
「最近、めっきりボランティアが減った、薄情なものだ」と、ぼやく被災者が結構いる。とんでもない馬鹿者である。援助して貰う事に慣れ、支援される事が当り前になり、
「もっともっと」と、欲張りな甘えや注文をするようになった被災者に、その醜(みにく)くなった心に、私はどれ程叱ったか、どれ程怒ったか。
 貧して貪(どん)してはならない。家屋の崩壊は心をも崩壊する。
 始めは全国からの支援で駆け付けて呉れた、ボランティアに涙、涙の感謝をしていた人達も、月日の経つ中に心も被災し、醜くなっていく。
 何時までも支援に頼ってはならない。復興は当事者自身、自分達で力を合わせ、自立の精神で立ち上がらねばならない。
 復興支援は、ショックで茫然としている間の事で、我を取り戻し、現実に立ち向かえる状態になる、その何ヵ月かが必要であって、何時までも頼ってはいかん。次から次と起きる災害に――
「私達の所はもう良いです。これからは自分達で頑張ります。どうぞ、今起きている被災地に行って上げて下さい」と言って呉れる被災者。
「もう、我々を見捨てるか」と言う被災者。
 人間、大きな出来事に出会うと、成長する人と後退する人に――大きく岐れる。その人の本性が露(あらわ)れる。
 何故、島原復興が十年も掛かったのか……だ。  

                                                     つづく。

 

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2011年5月27日 (金)

隆明の時事考現 23

23. 腹を据えて掛からねば

 今我々は何をすべきか……。今、私に何が出来るのか……。
 そんな事を考えている中は、何も出来ない。何も出来ないから考えている。
 他人事だから、同情しているのである。自分事だったら同情はしない。
「同情するなら金を呉れ!」という、強烈な正直な言葉がTVドラマの台詞として発せられ、その衝撃は流行になった。
 被災者の多くは家も家族も職も失い、避難所で為す術もなく悲嘆に暮れているのである。
「頑張れ頑張れ」と手紙で励ましても、一体何を頑張るのか……。
 同情は被災者にとって却って迷惑であり、みじめでもある。悲嘆を増す事にもなりかねない、「同情するより金を呉れ!」である。
 
 ホントに人が好きならば、ホントに人を愛しているならば、考える頭は要らない。必要ない。邪魔である。行動は唯一つ。
 人は愛し愛され、幸福に生活し、生き続けなければならない。人類は皆兄弟であり、家族である。地球という大家族である。家族が困っていれば助けるのが当り前である。扶け合うのが当然である。
 何をすべきか、なんて寝言を言ってる場合ではない。災い転じて福と成す。こんな時こそ人類は成長するチャンスである。
 自己中心で、人を助け慣れていない人でも、明日は我が身と目覚め、慣れない援助支援活動を始めている。
 震災、水害に遭った時から、被災者、支援者は良きも悪しきも時と共に変化して行く。「この先どうなるのか」と云う不安に駆られ乍ら、それでも人は一歩一歩進む。
 
 私と私の仲間が復興を遂げた雲仙島原の十年を、都度都度の障害にどう対処したかを、其処に身を置き乍ら詳細(つぶさ)に見て来た。
 失敗も色々あった。その経験の反省から、そんな中から生まれたノウハウが、後々の奥尻や阪神や新潟の試練を経て、今、正に現実に東北震災、原発被災に生かし、活かされる。
 復興成就に向けて、腹を据えて掛からねば――。  

                         つづく。

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